『反省』とは、自分の行いや心を省みること。と辞書にはあります。したがって『反省』は大いにするべきだと思います。
しかし、それで満足していてはいけません。『反省』だけならサルでも出来ます。『反省』とは有る意味極めて自己中心的な心の働かせ方でもあるのです。
森田先生が、入院患者の前で薪割の実演をしています。それを見ている患者は大きく二通りに分かれるようです。まずは"早く治る"患者たちです。彼らは早速手を出して、教えられたとおりに薪を割ろうとします。素直に学ぶ姿勢があるから、すぐに上手に割ることが出来ます。上手に割ることが出来れば、ますます興味がわき、さらに上達に拍車がかかってくるわけですね。
そんな積極的な"早く治る"患者たちを見ていて、もう一方の"中々治らない"患者たちは、こんな風に考えるそうです。薪割りそれ自体の面白さ、工夫の仕方には何の興味も示さないで、『どうも自分は不器用で、あのようにうまく出来ない、だめな人間である。』とか『自分は何事に対しても、研究心が足りない』などと自己の内面ばかりを見つめて『反省』ばかりしているのだそうです。
"中々治らない"患者の日記には、次のように記されています。
『本日の薪割の実演は、非常に得るところがあった。私たちは何事に対しても研究心を持って臨み、興味を惹起するようにしなければならない』などと書かれています。そして彼らの頭の中には、すでに薪割りのことは何にもなくなっているのであります。
自らの心や行いを省みることは大切なことなのですが、もっと大切なのは、その先なのですね。