私の反省(半生)? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

『反省』とは、自分の行いや心を省みること。と辞書にはあります。したがって『反省』は大いにするべきだと思います。

しかし、それで満足していてはいけません。『反省』だけならサルでも出来ます。『反省』とは有る意味極めて自己中心的な心の働かせ方でもあるのです。

 

反省

 

森田先生が、入院患者の前で薪割の実演をしています。それを見ている患者は大きく二通りに分かれるようです。まずは"早く治る"患者たちです。彼らは早速手を出して、教えられたとおりに薪を割ろうとします。素直に学ぶ姿勢があるから、すぐに上手に割ることが出来ます。上手に割ることが出来れば、ますます興味がわき、さらに上達に拍車がかかってくるわけですね。

 

そんな積極的な"早く治る"患者たちを見ていて、もう一方の"中々治らない"患者たちは、こんな風に考えるそうです。薪割りそれ自体の面白さ、工夫の仕方には何の興味も示さないで、『どうも自分は不器用で、あのようにうまく出来ない、だめな人間である。』とか『自分は何事に対しても、研究心が足りない』などと自己の内面ばかりを見つめて『反省』ばかりしているのだそうです。

 

薪

 

"中々治らない"患者の日記には、次のように記されています。

『本日の薪割の実演は、非常に得るところがあった。私たちは何事に対しても研究心を持って臨み、興味を惹起するようにしなければならない』などと書かれています。そして彼らの頭の中には、すでに薪割りのことは何にもなくなっているのであります。

 

自らの心や行いを省みることは大切なことなのですが、もっと大切なのは、その先なのですね。