昨日の『劣等感』の記事を書いていて、ふと思い出したことがあります。
クライアントの話しを聞いていて、すごく重いテーマになったとき、果たしてカウンセラーはそれを肯定した方が良いのか否定すべきなのか悩んで居る。と言う悩みを聞いたことがあるのです。
たとえばクライアントが『私、死にたいんです』と、打ち明けたとしましょう。皆さんならなんと答えますか。たいていの人は『死ぬなんてとんでもない! 考え直しなさい!』などと即座に否定するのではないでしょうか。中には『良いか、人の命は地球よりも重いんだから・・』などとお説教を始める人まで居るようです。これは最低のやり方です。
悩んでいるクライアントは、人から否定されるほどつらいことは無いんです。もしかしたら今まで人から否定され続けてきたから、死にたくなったのかもしれませんものね。
ならば、肯定するのが正解なのでしょうか。
『何? 死にたい? そうかそうか、そういうことなら誰でも死にたくなるよなぁ、ほら、ここに毒薬がある。これで試してみるか?』
これでは殺人補助になってしまいます。
では、どうしたらよいのでしょうか。私の見解は最後に。
『俺は何をやってもダメ人間だ』と言う劣等感を持っている人が居ます。普通は『そんなこと無いよ、君だって良い点はたくさんあるよ』とか何とか言って慰めるでしょう。少しは嬉しいでしょうが、たぶんこういう風に捉えるでしょう。
『あまりにダメ人間だから、慰めることしか思い浮かばないのであろう、ああ、俺は心底ダメ人間だ!』
では、肯定してみましょうか。
『俺は何をやってもダメ人間だ』 → 『そうだね。まったく君は何をやってもダメ人間だ!』
何をか言わんやです。
もうひとつ例を挙げましょう。
自己肯定感の低いあなたの部下が休暇届を提出しようとしています。上司のあなたは、それを受理するかしないかを決めなければなりません。
受理した場合、つまり肯定した場合ですね。部下にはこのように伝えます。
『休んでいいよ。ゆっくり静養してきなさい』
自己肯定感の低い部下は、こんな風に考えるでしょう。
『ああ、すんなり受理してくれた。俺は会社ではいても居なくても良い存在なのだ』
では、受理しなかったらいいのでしょうか。
『今忙しいのだから、後にしなさい!』と言ったとします。すると部下は、
『ああ、やっぱり会社は俺をこき使って、使い捨てようとしている。俺は何の価値もない人間なんだ』
もうお分かりでしょう。
劣等感にとらわれるほど自己肯定感の低い人間にとって、肯定も否定もともに、『否定』として受け取ってしまうんです。
その証拠に、肯定否定どちらに振っても、導き出される結論はほとんど同じものになってしまいます。これはどちらにしても良いということであり、どちらでもダメだということになるわけです。
では、どうしたらいいのでしょうか。
とにかく無条件に受け入れてあげることです。肯定も否定もせず、ただ訴えてくる言葉を、態度を、気持ちを、そのままありのままに受け止めてあげる以外に無いと思うのです。