岐阜マンホール探しの旅13:2024.05.01(大垣市)デザインマンホール | Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

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2018年1月に20数年勤めてきた会社を辞め、翌2月に無錫での生活へ。ここでの生活、自分専用のノートとして書き留めることにしました。

2020年1月末、春節で一時帰国から本帰国となる。
5月末に本帰国辞令。9月末に主人が帰国となる。2021年から日本で新生活をスタート。

 

5月1日(水)

 

 

大垣市

 

大垣市は、岐阜県の濃尾平野北西部に位置する。日本列島の一番「ど真ん中」にある都市としている。岐阜県では県庁所在地の岐阜市に次いで2番目の人口である。

全国でも有数の自噴帯に位置しており、豊富な地下水の恵みにより発展し、水の都と呼ばれている。揖斐川、杭瀬川、水門川をはじめとする多くの河川とあいまって、大垣には「水の都」の異名もある。

 

 

初めて知った、大垣市が「飛び地」だということを・・・。

 

理由としては平成の大合併です。
飛び地となったのは、旧安八郡墨俣町、旧養老郡上石津町であったところです。
元々、大垣市となった地域をはじめとして、周辺の西濃地域の各自治体(関ヶ原町、垂井町、輪之内町、安八町、養老町、神戸町)が全部大垣市と合併して中核市を目指していました。
しかしながら、結局まとまらず(各々の地域の利権とかの問題)で合併が破たんしてしまい、結局のところは墨俣町、上石津町だけが大垣市に編入をされました。(引用:Yahoo!知恵袋より)

このような大規模な飛地のある自治体は日本でも数えるほどしかない。

 


 

 

  奥の細道むすびの地(大垣船町川湊)

 

 
松尾芭蕉が東北・北陸地方をめぐる「奥の細道」の旅を終えた地が大垣。
芭蕉は、2週間ほど大垣の人々と交流して過ごしたあと、水門川を舟でくだり桑名へ旅立った。そして、わかれるときに、「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」という俳句を詠んだ。
 
 

 

 

 大垣船町川湊

 

 
大垣船町川湊は、『おくのほそ道』の旅において、芭蕉が実際に訪ね、感慨を込めて俳句に託した数多の名所及び由緒・来歴の地の風景のひとつであり、他の風景地と相互の繋がりがある一体の風致景観として、今なお『おくのほそ道』の時代の雰囲気を継承しつつ、往時のよすがを偲ぶことのできる場所。

 

 

 

 松尾芭蕉と谷木因の銅像

 

 
 

 

  貴船神社

 

戸田氏鉄が摂津国尼崎藩藩主の時、京都の貴船神社から分社して祀ったのが始まりという。当初は大垣城内にあり、明治期の廃仏毀釈の流れで廃寺になった場所に住民が願い出て再び移したのだそう。

 


 
 
四季の路芭蕉と出会う街「ミニ奥の細道」
松尾芭蕉が元禄2年(1689年)に江戸深川から600里(約2,400km)を5か月間にわたって巡遊し、我が国の文学史上著名な『奥の細道』をここ大垣でむすびました。 この『奥の細道」にちなんで、市内中心部を流れる水門川沿いの「四季の路」コース内に、奥の細道紀行で詠まれた句の碑を建立し「ミニ奥の細道」として整備しました。 芭蕉の俳句を味わいながら、散策をお楽しみください。
 
 
 
 
 
 

 

大垣と言えば、水まんじゅうも有名だけど、「たらい舟」も有名。

 水の都おおがきたらい舟

 

 
時期:4月下旬~5月上旬
船頭が竹竿一本で操るたらいに乗り、新緑を感じながら水門川をゆったりと下る。
 
今年の開催日は、2024年3月23日(土)~4月7日(日)の16日間。訪れてときは、もう終わっていた。
 
 

この辺り?にデザインマンホールがあるはずなんだけど、見つからず。

 

 

 

 観光スポット情報


大垣船町川湊(国名勝 おくのほそ道の風景地)

住所 : 〒503-0923 大垣市船町1丁目30番
電話番号 : 0584-81-4111(大垣市役所商工観光課)
アクセス : 
JR大垣駅から徒歩約30分
名阪近鉄バス 奥の細道むすびの地記念館

駐車場 : 近隣の「奥の細道むすびの地記念館」駐車場が利用できます。
トイレ : 近隣の「奥の細道むすびの地記念館」のトイレをご利用ください

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 
再见!