5月1日(水)
大垣市
大垣市は、岐阜県の濃尾平野北西部に位置する。日本列島の一番「ど真ん中」にある都市としている。岐阜県では県庁所在地の岐阜市に次いで2番目の人口である。
全国でも有数の自噴帯に位置しており、豊富な地下水の恵みにより発展し、水の都と呼ばれている。揖斐川、杭瀬川、水門川をはじめとする多くの河川とあいまって、大垣には「水の都」の異名もある。
初めて知った、大垣市が「飛び地」だということを・・・。
理由としては平成の大合併です。
飛び地となったのは、旧安八郡墨俣町、旧養老郡上石津町であったところです。
元々、大垣市となった地域をはじめとして、周辺の西濃地域の各自治体(関ヶ原町、垂井町、輪之内町、安八町、養老町、神戸町)が全部大垣市と合併して中核市を目指していました。
しかしながら、結局まとまらず(各々の地域の利権とかの問題)で合併が破たんしてしまい、結局のところは墨俣町、上石津町だけが大垣市に編入をされました。(引用:Yahoo!知恵袋より)
このような大規模な飛地のある自治体は日本でも数えるほどしかない。
奥の細道むすびの地記念館
江戸時代初期に著された「おあむ物語」をベースに過去と現在の岐阜県大垣市を舞台に展開するアニメーション
おあむ物語
関ケ原の戦いの際、落城目前の大垣城から脱出し、戦いの様子を語り継いだおあむ(おあん)という女性がいました。おあむは城からの脱出の際、「たらい」を使い堀から逃げたと言われています。
おあむが見てきた大垣城籠城戦の様子は、「おあむ(おあん)物語」として現在まで伝えられています。
引用:大垣市のホームページより
映画「聲の形」のモデルの地、大垣市。
デザインの由来
大垣市の花「サツキ」と、「住吉燈台」を中心に「奥の細道むすびの地」とされている「船町港跡」をデザインしたマンホール蓋です。大垣は、松尾芭蕉が東北・北陸地方をめぐり、紀行文学作品『奥の細道』の旅を終えた地です。船町港から伊勢へ向けて出立した芭蕉は、「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」という句を残しています。「船町港跡」は、かつて伊勢への水運の拠点として栄えた港で、現在も往事の風情を残しています。平成26年3月には、「おくのほそ道の風景他 大垣船町川湊」として国名勝に指定され、隣接する「奥の細道むすびの地記念館」とともに多くの観光客で賑わっています。
配布場所・時間
奥の細道むすびの地記念館
ただし、年末年始(12/29~1/3)、臨時休館日は配布しない。
観光スポット情報
奥の細道むすびの地記念館
住所 : 岐阜県大垣市船町2-26-1
電話番号 : 0584-84-8430
開館時間 :
芭蕉館、先賢館 : 9時00分~17時00分
観光・交流館 : 9時00分~21時00分
休館日 : 無休(ただし、12月29日~1月3日及び展示替えの場合は休館)
入館料 :
芭蕉館、先賢館 : 有料(一般:300円、団体:150円、年間:1,000円)
※当館以外に「大垣城」「郷土館」「守屋多々志美術館」に入館できる共通入館券も販売します。(一般:600円、団体300円)
観光・交流館 : 無料
駐車場 :
奥の細道むすびの地第1駐車場・第2駐車場 : 無料
ただし、大型及び中型車は1,000円(1台1回3時間以内)
※要予約
「地域団体商標カード」を一緒に戴いた。
むすびの泉
深さ147mの井戸から湧き出ている湧水のむすびの泉
無何有荘大醒榭(むかあそうたいせいしゃ)
大垣市重要文化財
大垣垣藩老 小原鉄心が安政3年(1856年)に大醒榭(たいせいしゃ)・蓬宇(ほうう)・小夢窩」(しょうむか)と名付けた三亭の別荘 無阿有荘を現在の林町に建築。大醒榭が現存しており移築した。
これまで2度移築され、3度目の移築でこの地に整備された。
「無何有」の名前は、鉄心の師である鴻雪爪によるもので、荘子の言葉「無に して何ぞ有らん」(無為・無作為で超然とした自然である境地)を意味している。
鉄心門
大垣城下郭町(現大垣市郭町)にあった小原鉄心の邸宅の裏門。藤江町の江馬邸に移築後、1978年(昭和53年)に全昌寺に移築。2012年(平成24年)に奥の細道むすびの地記念館内に移築。
「奥の細道むすびの地記念館」に車を置いて、
マンホールカードが描かれている場所へ。
大垣船町川湊(国名勝 おくのほそ道の風景地)
大垣船町川湊は、『おくのほそ道』の旅において、芭蕉が実際に訪ね、感慨を込めて俳句に託した数多の名所及び由緒・来歴の地の風景のひとつであり、他の風景地と相互の繋がりがある一体の風致景観として、今なお『おくのほそ道』の時代の雰囲気を継承しつつ、往時のよすがを偲ぶことのできる場所
船町港跡
船町湊は水門川の川湊で、慶長年間(1596-1615年)から整備が始まり水運が発達した。この場所は松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を終え、伊勢に向かって船出をした場所。昭和初期には年間1万もの船が行き来していたと言われる港跡。
住吉燈台
元禄年間(1688年~1704年)
江戸時代後半に建てられ、明治20年(1887年)に再建された。
高さ約8m。寄棟造の木造の燈台であった。
かつての川湊の灯台である。 住吉燈台の表記が多く使用されている。
大垣市指定史跡 船町港跡
船町港は、江戸時代から明治時代にかけて大垣城下と桑名を結ぶ運河「水門川」の川港で、物資や人の往来の中心であった。
住吉燈台は、港の標識と夜間の目印として天保11年(1840)に建てられたとされる。高さ8mの寄棟造りで、往時は最上部の四方に油紙障子をはめ込み中央に燈火を入れた。現存する川燈台として、また優美なその外観は高く評価されている。
近代になると船町港には、大垣-桑名間の蒸気船が就航〔明治16年(1883)したが、昭和期に入ると鉄道等の陸上輸送網の発達に伴い衰退した。
観光スポット情報
住所 : 岐阜県大垣市船町
アクセス : JR大垣駅から徒歩約30分