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Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

松本清張さんの『清張通史』講談社文庫全六巻を読み終えた。邪馬台国の時代から奈良時代まで、執筆当時の考古学の成果、古事記や日本書紀の文献学的研究を見渡した力業である。清張さんといえば、専門の研究者ではなかなか言いづらい大胆な推論や着眼点が魅力だが、すでにわかっているところをきちんと整理される力量も化け物級である。

 

清張通史の前半は、古代朝鮮と倭の交流史がメインテーマである。人と物の行き来がいろいろなタイミングで起きたことが指摘されており、興味深かった。九州・山陰・北陸経由で秦の遺民、高句麗・百済・新羅からの移民が日本列島に渡って来たわけだが、その人たちのルーツがほぼみんな遊牧民族出身であるということが、個人的に一番印象に残った。

 

清張通史後半のテーマは古代中国と倭の交流を軸に、仏教伝来と国家形成過程が描かれる。とりわけ、シルクロード経由で中国に入ってきた仏教にはすでに、マニ教やゾロアスター教の要素が混ざっていたという指摘が面白かった。ブッダがなくなったあとに編纂された経典に、その時代・場所に隆盛した他宗教からの影響があっても不思議ではない。毘沙門天や不動明王の立ち位置が少しわかったように思った。

 

以下は、読了後に勝手に考えてみたことの覚書である。

 

仏教はシルクロードを経由して、中国華北の王朝に広がった。華北は、漢民族が「胡」として見下してきた遊牧民族がやってきて定住し、建てた王朝が多い。どうやら仏教は、遊牧民族が定住したときと相性が良いようなのである。であるならば、遊牧民族の血を引き、古代中国や古代朝鮮から倭に移って定住した人々が仏教と親和性をもっていてもおかしくはない。

 

ずっと生まれた場所で農耕を営み定住し続けられる人々は、おそらくその土地・山河・太陽などの自然を崇拝する信仰を培うのだろう。だから、仏教のように人間の本質を追究する姿勢は、農耕定住生活では必要性が乏しい。

 

シルクロード、中国、朝鮮を経て日本に伝わった仏教には、すでに様々な地域の自然崇拝が取り込まれており、いわば宗教のremix、宗教の総合商社的な形態であった。日本が国家として形成される過程で、貴族、武士、農民、商人、職人それぞれが拠り所とできる思想が仏教には含まれていたわけである。

 

そういえば、ユダヤ教は土地を求めてさまよい歩く遊牧民族の宗教だが、エルサレムに定住したことでユダヤ教からキリスト教が生まれた。その後、キリスト教はローマを経てヨーロッパの農耕民に広がるが、ユダヤ教にとどまった人々は移民生活を続けることとなる。遊牧と農耕という生活スタイルの違いは、宗教を考えるときに案外重要なようである。

 

現代人は仕事と家庭の二重生活をおくっている。どちらが遊牧的移住でどちらが農耕的定住なのか、人それぞれなのだと思うが、考えてみると面白い。そしてもう一つ。清張通史のなかで、『アジア史概説』や『アジア史論考』など宮崎市定さんの仕事が度々参照されている。まとまった時間が持てたときに、宮崎市定氏の著作に挑んでみたいと思った次第である。

この数年間、感染症流行のこともあり、人が少ない所にしか行かないようにしていた。人があんまりいかない所にも、見るべきところはたくさんある。

 

□伊崎寺(姨倚耶山)

長命寺のご近所にある小さなお寺。湖面に突き出た棹の先から修行僧の方が琵琶湖に飛び込む行事が有名である。阿闍梨さんが住職をされていることでも知られる。2020年の寒い時期に訪れた。駐車場から20分ほど砂利で整えられた参道を歩くと、本堂と棹飛び堂からなる小さな伽藍が眼に入ってくる。湖からの風が寒くて強い。棹飛び堂から棹をのぞき込むと棹は予想以上に長く、湖面からの高さもかなりあった。棹の先まで落ちずにいくだけでも大変そうだ。すこしはなれた場所にある山門と昔の船着き場が階段でつながっている。長命寺と同様、以前は船でやってきて参拝していたようである。

 

□新薬師寺(日輪山)

奈良の春日大社近くにある新薬師寺。こちらは2021年冬の訪問。奈良にいくたびに行ってみたいリストに入っていたのだが、だいたい東大寺周辺だけで時間切れになってしまっていた。今回は満を持しての訪問。もともと静かなお寺ではあるが、冬の午後なので人影もなく、まさに「しーん」としていた。境内にはいるとなんだか別世界にきたような感じがする。国宝の本堂は簡素な外観だが、不思議な安定感がある。本尊の薬師如来像を囲む有名な十二神将像は、配置と照明がマッチして非常に見ごたえがあった。新薬師寺の建物は秋篠寺に似ているように思うのだが、秋篠寺は樹木に囲まれているのに対して、新薬師寺は樹木が少なく空間が広がっている印象をもった。その意味で新薬師寺の方が王朝的な雰囲気がした。

 

□笠置寺(鹿鷺山)

こちらは2020年秋の訪問。本尊の弥勒菩薩が摩崖仏という珍しい山寺である。京都、奈良、伊賀の中間にあり、後醍醐天皇が身を寄せたことでも知られる。自動車で笠置山の中腹までいけるが、その後少し石段をのぼらなければならない。立派な石垣に守られた門が見えてくると、山寺というよりも山城に来たような気分になる。実際、後醍醐天皇が一時期隠れたりして軍事的な意味も持っていたようである。山頂からは、木津川の流れと周囲の深い山並を一望にすることができる。山並が雲のようにずっとつながっていて、昔の人と同じ景色をみているような気になった。帰り道に麓で食べたキジ鍋がおいしかったこと、ナビでものすごく細い山道に誘導されて冷や汗をかいたのがよい思い出になった。

 

今回はここまで。それにしても、自動車がない時代に、歩いたり、船だったりで参拝していた昔の人はすごい。そして人々をその気にさせる神仏や自然もまたすごい。

GWに井村恒郎先生のエッセイを集めた『井村恒郎・人と学問』(みすず書房、1983年)を読んだ。僕が井村恒郎の名前を初めて知ったのは、鶴見俊輔氏が医学におけるプラグマティストとしてその名を言及されていたなにかのインタビューだったと思う。その後、中井久夫先生の文章で、新フロイト派H・S・サリヴァンの『現代精神医学の概念』の翻訳を中井先生に依頼したのが井村先生だと書いてあってびっくりした。井村先生は、京大哲学科で西田幾多郎や田辺元に学び、三木清、戸坂潤らと議論を交わした経験を持ちながら、京都学派的な「無の論理」への批判的な視点を持ちつづけた。その後東大に入り直して精神医学に転じ、戦後日本の精神医学の黎明期を支えた。

 

『井村恒郎・人と学問』所収のエッセー「犬嫌い変身」の中で、井村先生が言及されているのが間直之助さんの『サルになった男』である。間さんは東大理学部の動物学科に入学したが、はく製やフォルマリン漬けの動物標本を研究することにがっかりし、京大哲学科に入りなおして生きた動物と関わりながら観察していく動物学に出会い、嵐山や比叡山でサルの餌付けに成功した。おそらく、間さんと井村先生は京大哲学科で席を並べた時期があったはずである。動物学、精神医学と、お二人は哲学から離れた分野で活躍された。しかし、不思議なことに、間さんがサルの餌付けで試みたこと、井村先生が精神科臨床の場面で試みたことには、H・S・サリヴァンのいう「関与しながらの観察」(中井久夫先生のエッセー集の表題にもなっている)に似ている。

 

『サルになった男』(雷鳥社、昭和47年)は古本が非常に高価になっていてなかなか手がでなかったのだが、たまたま近くの図書館に所蔵されていることがわかり、GWが雨になったのをいいことに、借りて読んでみた。

 

間さんの文章は平易で分かりやすく、読みやすい。まずはサルと関わって観察したサルたちの心理、習性が眼を引く。曰く、

(1)多と小では、多のほうを、

(2)新と古では、新のほうを、

(3)既知と未知では、既知のほうを、

(4)大と小では、大のほうを、

(5)全体と部分では、全体のほうを、  である。 (同書51頁)
 

そうしたサルたちと関わる秘訣として間さんが挙げていることは、シンプルでわかりやすい。でも本気で実行するのはかなりの覚悟がいるし、ある意味とてつもなく難しい。

(1)彼らには、惜しみなく与える、

(2)彼らのものは、奪わない、

(3)彼らを欺いたり、彼らの期待や信頼を裏切らない、

(4)人間が万物の霊長であるなどとうぬぼれたり、彼らを畜生だとか、けだものなどと侮らない。

(5)彼らをいじめる人や、襲いかかるイヌ、その他の動物の危害からは、万難を排して彼らを守る、(同書53頁)


吃音をもっていた間さんは、サルと仲良しになる秘訣として、こう述べている。「いまもし、人類の前から、言葉や文字という便利至極な方法が突然消え去って、どうしても動物的コミュニケーションに頼るのでなければ生死にかかわるというような事態が起こり、また人類が金銀財宝や地位、名声などという人工的虚名に対する執念や愛着をさらりと捨てて、自然のままの童心にかえることができるならば、サルとの心の触れあいは、もっと深く、愛情ゆたかなものになることでしょう」(同書232頁)。面接場面で話す言葉の内容よりも声色やトーンに着目したサリヴァンと共通する点があるようにおもう。

 

間さんは辛抱強く時間をかけてサルたちと信頼関係を築き、遂には一緒に昼寝できるようになった。だが、サルの密漁や観光化により自動車事故にあうサルが出てきたり、餌付けされたサルの群れから優れたリーダーが生まれなくなって群れが分裂してしまうなど、サルと間さんが信頼し合うようになったことで、サルたちに変化がでてきてしまう。「私は、”サルの味方”のはずであった。(中略)私は野生ザル調査のために、比叡群の餌づけをした。その結果、私は、美しい自然の中から、けばけばしく危険の多い人工の世界へ彼らを引っぱり出したことになった。(中略)私は、実は、サルたちの味方ではないのではなかろうか。こう思うとき、私は胸を搔きむしられるような気持がするのである」(同書129-130頁)という間さんの言葉は、さらっと読み通せない厳しさをもっている。

 

医療は患者さんの味方でありたいという姿勢に基づいている。だが現実には保険医療という枠組み内でできることには限界があり、そもそも患者さんの訴えや症状に合致する病名がない場合、医学はたちまち非力になる。医療は、患者さんの味方でいるつもりで、却って患者さんに害を与えてしまう可能性をもつ営みである。患者さんと医療者間で信頼関係が成り立つことには、サルと間さんの信頼関係と同様に、喜ばしい一面と悲しい一面があるように思われる。

 

余談だが、もう一か所印象的だった箇所を抜きがいておく。

「第二次大戦に敗れたのは、われわれ国民だけでなく、動植物の世界も同様であった。(中略)直接に私どもの目の前で日本古来の動植物を侵略される現実をはっきり見せつけられたのは、敗戦後アメリカの進駐軍の上陸以後のことであった。比叡山のサルの食草にも、たくさんの革命的な変化が起こった」(同書223頁)。

 

『サルになった男』を読んで以降、僕は「信頼し合うこと」を手放しで喜べなくなっている。

忘れないうちに2022年後半の読書記録を。

 

・谷川健一『うたと日本人』(講談社現代新書、2000年)

和歌から俳句に至る日本の「うた」の歴史を民俗学の視点からたどった本。言葉が言霊を持ち、「うた」が「うったえる」力(呪力や治癒力)をもっていた時代に詠まれた『万葉集』。文字を操る貴族階級が育んだ『古今和歌集』などの勅撰和歌集。文字化されず、民衆の間で口伝えに受け継がれた掛け合い歌を収めた『梁塵秘抄』。個人の心の内に自閉しやすい和歌への反動として生まれた連歌。俳諧連歌が民衆に広まり、楽しみとして定着する中から生まれた俳句。谷川さんの整理によれば、俳句は、その誕生の時点で「たくさんの人が気軽に楽しむ」ところに特徴があったことになる。個人的には、一遍上人の和歌、良寛の俳句が思い出され、「うた」の広がりは、仏教がひろがる過程とも重なっているなと感じられた。

 

・市川裕『ユダヤ人とユダヤ教』(岩波新書、2019年)

この本で、僕は「マルティン・ブーバーが鈴木大拙の禅研究に触発されてハシディズムを解釈した」ということを知った。またアイザイア・バーリンというユダヤ系哲学者の名前を知ったのもこの本であった。ユダヤ人が直面した怒涛の20世紀をバーリンが思想家としてどうみたのか、非常に興味をもった。個人的には、「会社でサラリーマンとして働く」ことの原型はユダヤ人からはじまったのだと勝手に納得した。故郷の土地から離れた都会で自らのスキルを売って生活する現代人の姿は、ディアスポラのユダヤ人たちと重なるところがあまりにも多い。

 

・ジョン・ルイス・ギャディス著、村井章子訳『大戦略論』(ハヤカワNF文庫、2022年)

市川裕先生の本ででてきたアイザイア・バーリンの『ハリネズミと狐』という著作をきっかけとして、ペロポネソス戦争からローマ帝国、絶対王政、アメリカ独立革命、第一次・第二次世界大戦におけるトップの戦略について批評する本。個人的には、アウグスティヌスの『神の国』が、マキャベリの『君主論』と対比され、理想論すぎるとされているところが面白かった。ローマ帝国が弱体化する中で記された『神の国』を僕はまだ積読にしたままなので、この批評が妥当なのかよくわからない。ただ、日本が敗戦に瀕したとき、「神ここに、敗れたまひぬ」と記した折口信夫とアウグスティヌスの違いの意味を考えることは重要ではないかと感じた。

 

・井上良雄『ヨハネ福音書を読む』(新教出版社、1998年)

この本で、僕はカール・バルトのヨハネ福音書注解がでていることを知って、急いで購入した(笑)。バルトの注解はヨハネ伝の8章までで終わっているが、井上先生の本は、重点をピックアップしながら最後の章まで解説されており、これからも思い出すたびに開き直す本になるだろう。

 

・松尾剛次『日本仏教史入門』(平凡社新書、2022年)

非常にわかりやすくコンパクトにまとまった日本仏教史。官僧と遁世僧という対比軸で仏教の広がり、深まりを説明している点がわかりやすい。笠置寺・海住山寺で活動した貞慶、西大寺で自誓受戒した叡尊、鎌倉極楽寺の忍性など、遁世僧としてハンセン病者支援活動や葬送を担った方々のことをはじめて知った。日本仏教の厚みを知り、また興味がでてきた。

 

・阿満利麿『行動する仏教』(ちくま学芸文庫、2011年)

阿満氏の著作の中で思想的な到達点をしめす作品といえるだろう。「念仏だけが真実である」ことと、「阿弥陀仏が凡夫の救済を願ってくれたという物語」のどちらが先かという点が曖昧なのが個人的には気になるのだが、そこをこまかく問うことが妥当なのか僕にはわからない。釈宗演氏の「調和をもたらす手段として戦争もまたやむをえない」という発言をトルストイが批難していたことが紹介されているが、この点は重要だと思うし、今後の研究がまたれる。
 

・鈴木大拙『禅』(ちくま文庫、2010年)

・鈴木大拙『一禅者の思索』(講談社学術文庫、1987年)

「禅堂の思い出」という章で植村宗光という、僧籍ありながら招聘され満州で戦死した友人の話がでてくる。植村氏は「戦地に来りて最も感じたるは人間の最も立派なる瞬間は砲烟弾雨の真ただ中に立ちたるときに在りと云うことに候」(135頁)、「条約は吾等に肉体の平和を与ふ、宗教は吾等に心の平和を与ふ」(136頁)と大拙に書き送っているとのこと。この文章をどう評価したらよいのっか、僕は考えこんでしまっていていまだによくわからない。

 

・山形孝夫『聖書の起源』(ちくま学芸文庫2010年)

宗教人類学者山形氏の研究がコンパクトにまとめられた良書。遊牧生活をしていたアブラハムが、自分たちの土地所有を切望していたという点、ヘブライ語のシャローム(平和)が、「力のみなぎりあふれた動的な状態」を指すという点など、ハッとさせられることが多かった。

 

・司馬遼太郎、上田正昭、金達寿『日本の朝鮮文化 座談会』(中公文庫、1982年)

古代日本に伝わった朝鮮文化についての座談会が文庫本になっている。びっくりしたのが、「神宮」というものがもともと朝鮮で新羅の初代王朴赫居世を祭った祖神廟から始まっていること。朝鮮での神宮・神社は仏教の到来とともに全滅状態となるが、日本では神と仏が調和して発展するという指摘(48頁)である。神社すらも朝鮮から伝わった文化なのだとすると、というよりもそもそも「文化」をもつ古代日本人が、朝鮮からわたってきた人材で構成されていたのであれば、古代史において「朝鮮」と「日本」をわける考え方に意味はあるのだろうかと考えさせられた。

 

・佐藤優『宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源』(角川ソフィア文庫、2018年)

フスの著作からの引用量が多く、佐藤氏の見解や分析は少なめである。フスの文章はなかなか気軽にアクセスできないので、その意味では便利な一冊である。個人的には佐藤氏が熱をいれているフスよりも、その思想的ルーツにあたるウィクリフのほうが魅力的に映った。

 

・佐藤優『サバイバル宗教論』(文春新書、2014年)

スターリンの息子がナチスドイツにつかまって捕虜になり、ヒトラーから交渉の札として利用されるも、スターリンが「そんな捕虜になるような人間は私の息子ではない」と返答し、息子は収容所で亡くなるというくだり(93頁)をはじめて知った。また、「宗教団体が課税されるようになると、その次はファシズムに向けた道が開かれます。宗教団体はファシズムに対抗する砦として、民主主義を担保する根本である、ということを認識してください」(223頁)という指摘、モンテスキューの『法の精神』を受けて「民主主義を担保するのは個人の人権ではない。(中略)その役割を担うのは中間団体だ」(223頁)と指摘する下り、「束ねるということがイタリア語のファシオなんです。ファシオは日本語に訳すときずなという意味です」(260頁)など、政治外交と宗教の境界域の話題でハッとさせられる視点が多かった。

 

・A・トクヴィル著、喜安朗訳『フランス二月革命の日々 トクヴィル回想録』(岩波文庫、1988年)

難しい文章は全くない。二月革命のまさに渦中の出来事と、外務大臣としてどう考え、どう交渉したかという点が明瞭な筆致で描かれていておもしろかった。フランスの外務大臣として他国をどのようにトクヴィルがみていたかという点は、とくにスイスやロシアについての下りが面白かった。

 

・ジャン・マルテーユ著、木﨑喜代治訳『ガレー船徒刑囚の回想』(岩波文庫、1996年)

フランス絶対王政下のプロテスタントが古代ローマから用いられているガレー船の漕ぎ手として囚人生活を送っていたことを知って面白かった。囚人内での序列や差別、あるいは囚人生活の抜け穴(飲酒など)、24時間ぶっつづけでこぎ続けるための方法(上官がぶどう酒に浸したビスケットを漕ぎ手の口に含ませてくれる)など、詳しく書かれていておもしろい。

 

・平沢弥一郎『足の裏は語る』(筑摩書房、1991年)

左足を軸足にしている人が多いなど、運動生理学的におもしろい指摘がのっている。著者が無教会で聖書研究されていたことを最後の章で知って、びっくりした。

 

・法月綸太郎『パズル崩壊』(集英社文庫、1990年)

表紙デザインは京極夏彦さん。正統派の「重ねて二つ」、「懐中電灯」を読んだ後、数年間置いたままにしていたのだが、年末年始にふと手にとってみたら、とまらなくなって一気に読了した。「トランスミッション」、「ロス・マクドナルドは黄色い部屋の夢を見るか?」、「カット・アウト」の三編が特に印象深かった。もちろん法月氏はミステリー作家なのだが、僕はミステリーとしてよりも小説としてこの三篇を楽しんだ気がする。どこか心の痒いところをうまく引っかかれたような感じで、本を閉じたあと、しばらく余韻が続いた。こんな感覚は久しぶりである。

 

・北森嘉蔵『聖書百話』(講談社学術文庫、2002年)

・田中克彦『ことばと国家』(岩波新書、1981年)

・F・アイルズ『殺意』(創元推理文庫、1971年)

・A・バークリー『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫、1971年)

・A・バークリー『第二の銃声』(創元推理文庫、2011年)

・A・バークリー『ジャンピング・ジェニイ』(創元推理文庫、2009年)

バークリーの描写力は非常に優れていると思うのだが、犯罪の動機がことごとく男女のもつれ、不倫や浮気に関連しているのは時代のせいなのだろうか。

「ネガティブに考えてしまうとき、どうしたら良いですか?」と質問されることが時々ある。

 

「ネガティブに考える」を日本語で言い換えてみようとしても、なかなかぴたりとくる表現がない。だが、「ポジティブに考える」だと「前向きに考える」とすぐに言い換えが思い浮かぶ。ならば「ネガティブに考える」は「後ろ向きに考える」といってもいいはずなのだが、自分であまり使ったことがないので、そういう日本語があるのか自信がない。

 

なにはともあれ、「前を向いて」という表現について考えてみる。どの方向が前なのか?と考え出すと意外にもよく分からない。どちらが前なのか考えているうちにポジティブな考えがどっかにいってしまうぐらいである。どちらが前かわからないときには、歩きながら考えれば、おのずから「前向きに考えている」ことになり、いたって便利である。古代ギリシャの逍遙学派や西田幾多郎が歩いた「哲学の道」は有名だが、ほかにも巡礼や修験道など、「歩きながら考える」伝統はおもいのほかたくさんある。

 

この数年、山にある社寺や山城に歩きにいくのが好きなのだが、その一方で自宅で映画やテレビを見る時間がめっきり少なくなった。年をとって鈍感になったのだろうか、身体を動かしながらでないと、何かを感じたり考えたりしていない気がするのである。

 

うろ覚えだが、西洋哲学の文脈で「positiveな思考」は「実証的な思考」と翻訳されていたと思う。このときのpositive実証とは、「考えた事と事実を照らし合わせて検討する」ぐらいの意味だと僕は勝手に思っている。であるならば、「negativeな思考」は「事実と照合しない思考」、たとえば「想像力」が含まれることになる。

 

想像力というnegativeな思考によって、人は心地よくもなれば、不安にもなる。一方で、positiveな思考は自分の内面と外界のリンクを確認しながら地に足をつけようとする。

 

そこまでうだうだ考えてから、最初の質問に戻ってみたが、良さげなアドバイスは思い浮かばない。おそらく足のツボ指圧にヒントがありそうだが…? 自分で実地検証してみたいと思う。

 

おまけ:先日、大江健三郎さんが亡くなった。「想像力」と言えば哲学者サルトルだが、そのサルトルに触発されて大江さんも『核時代の想像力』という本を書かれている。うろ覚えだが、確か、三木清も「構想力」という実証的でないnegativeな思考について思索していたと思う。実証できる部分を自然科学に奪われつつある哲学にとって、negativeな領域こそが本領が発揮できる舞台なのかもしれない。