忘れないうちに2022年後半の読書記録を。
・谷川健一『うたと日本人』(講談社現代新書、2000年)
和歌から俳句に至る日本の「うた」の歴史を民俗学の視点からたどった本。言葉が言霊を持ち、「うた」が「うったえる」力(呪力や治癒力)をもっていた時代に詠まれた『万葉集』。文字を操る貴族階級が育んだ『古今和歌集』などの勅撰和歌集。文字化されず、民衆の間で口伝えに受け継がれた掛け合い歌を収めた『梁塵秘抄』。個人の心の内に自閉しやすい和歌への反動として生まれた連歌。俳諧連歌が民衆に広まり、楽しみとして定着する中から生まれた俳句。谷川さんの整理によれば、俳句は、その誕生の時点で「たくさんの人が気軽に楽しむ」ところに特徴があったことになる。個人的には、一遍上人の和歌、良寛の俳句が思い出され、「うた」の広がりは、仏教がひろがる過程とも重なっているなと感じられた。
・市川裕『ユダヤ人とユダヤ教』(岩波新書、2019年)
この本で、僕は「マルティン・ブーバーが鈴木大拙の禅研究に触発されてハシディズムを解釈した」ということを知った。またアイザイア・バーリンというユダヤ系哲学者の名前を知ったのもこの本であった。ユダヤ人が直面した怒涛の20世紀をバーリンが思想家としてどうみたのか、非常に興味をもった。個人的には、「会社でサラリーマンとして働く」ことの原型はユダヤ人からはじまったのだと勝手に納得した。故郷の土地から離れた都会で自らのスキルを売って生活する現代人の姿は、ディアスポラのユダヤ人たちと重なるところがあまりにも多い。
・ジョン・ルイス・ギャディス著、村井章子訳『大戦略論』(ハヤカワNF文庫、2022年)
市川裕先生の本ででてきたアイザイア・バーリンの『ハリネズミと狐』という著作をきっかけとして、ペロポネソス戦争からローマ帝国、絶対王政、アメリカ独立革命、第一次・第二次世界大戦におけるトップの戦略について批評する本。個人的には、アウグスティヌスの『神の国』が、マキャベリの『君主論』と対比され、理想論すぎるとされているところが面白かった。ローマ帝国が弱体化する中で記された『神の国』を僕はまだ積読にしたままなので、この批評が妥当なのかよくわからない。ただ、日本が敗戦に瀕したとき、「神ここに、敗れたまひぬ」と記した折口信夫とアウグスティヌスの違いの意味を考えることは重要ではないかと感じた。
・井上良雄『ヨハネ福音書を読む』(新教出版社、1998年)
この本で、僕はカール・バルトのヨハネ福音書注解がでていることを知って、急いで購入した(笑)。バルトの注解はヨハネ伝の8章までで終わっているが、井上先生の本は、重点をピックアップしながら最後の章まで解説されており、これからも思い出すたびに開き直す本になるだろう。
・松尾剛次『日本仏教史入門』(平凡社新書、2022年)
非常にわかりやすくコンパクトにまとまった日本仏教史。官僧と遁世僧という対比軸で仏教の広がり、深まりを説明している点がわかりやすい。笠置寺・海住山寺で活動した貞慶、西大寺で自誓受戒した叡尊、鎌倉極楽寺の忍性など、遁世僧としてハンセン病者支援活動や葬送を担った方々のことをはじめて知った。日本仏教の厚みを知り、また興味がでてきた。
・阿満利麿『行動する仏教』(ちくま学芸文庫、2011年)
阿満氏の著作の中で思想的な到達点をしめす作品といえるだろう。「念仏だけが真実である」ことと、「阿弥陀仏が凡夫の救済を願ってくれたという物語」のどちらが先かという点が曖昧なのが個人的には気になるのだが、そこをこまかく問うことが妥当なのか僕にはわからない。釈宗演氏の「調和をもたらす手段として戦争もまたやむをえない」という発言をトルストイが批難していたことが紹介されているが、この点は重要だと思うし、今後の研究がまたれる。
・鈴木大拙『禅』(ちくま文庫、2010年)
・鈴木大拙『一禅者の思索』(講談社学術文庫、1987年)
「禅堂の思い出」という章で植村宗光という、僧籍ありながら招聘され満州で戦死した友人の話がでてくる。植村氏は「戦地に来りて最も感じたるは人間の最も立派なる瞬間は砲烟弾雨の真ただ中に立ちたるときに在りと云うことに候」(135頁)、「条約は吾等に肉体の平和を与ふ、宗教は吾等に心の平和を与ふ」(136頁)と大拙に書き送っているとのこと。この文章をどう評価したらよいのっか、僕は考えこんでしまっていていまだによくわからない。
・山形孝夫『聖書の起源』(ちくま学芸文庫2010年)
宗教人類学者山形氏の研究がコンパクトにまとめられた良書。遊牧生活をしていたアブラハムが、自分たちの土地所有を切望していたという点、ヘブライ語のシャローム(平和)が、「力のみなぎりあふれた動的な状態」を指すという点など、ハッとさせられることが多かった。
・司馬遼太郎、上田正昭、金達寿『日本の朝鮮文化 座談会』(中公文庫、1982年)
古代日本に伝わった朝鮮文化についての座談会が文庫本になっている。びっくりしたのが、「神宮」というものがもともと朝鮮で新羅の初代王朴赫居世を祭った祖神廟から始まっていること。朝鮮での神宮・神社は仏教の到来とともに全滅状態となるが、日本では神と仏が調和して発展するという指摘(48頁)である。神社すらも朝鮮から伝わった文化なのだとすると、というよりもそもそも「文化」をもつ古代日本人が、朝鮮からわたってきた人材で構成されていたのであれば、古代史において「朝鮮」と「日本」をわける考え方に意味はあるのだろうかと考えさせられた。
・佐藤優『宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源』(角川ソフィア文庫、2018年)
フスの著作からの引用量が多く、佐藤氏の見解や分析は少なめである。フスの文章はなかなか気軽にアクセスできないので、その意味では便利な一冊である。個人的には佐藤氏が熱をいれているフスよりも、その思想的ルーツにあたるウィクリフのほうが魅力的に映った。
・佐藤優『サバイバル宗教論』(文春新書、2014年)
スターリンの息子がナチスドイツにつかまって捕虜になり、ヒトラーから交渉の札として利用されるも、スターリンが「そんな捕虜になるような人間は私の息子ではない」と返答し、息子は収容所で亡くなるというくだり(93頁)をはじめて知った。また、「宗教団体が課税されるようになると、その次はファシズムに向けた道が開かれます。宗教団体はファシズムに対抗する砦として、民主主義を担保する根本である、ということを認識してください」(223頁)という指摘、モンテスキューの『法の精神』を受けて「民主主義を担保するのは個人の人権ではない。(中略)その役割を担うのは中間団体だ」(223頁)と指摘する下り、「束ねるということがイタリア語のファシオなんです。ファシオは日本語に訳すときずなという意味です」(260頁)など、政治外交と宗教の境界域の話題でハッとさせられる視点が多かった。
・A・トクヴィル著、喜安朗訳『フランス二月革命の日々 トクヴィル回想録』(岩波文庫、1988年)
難しい文章は全くない。二月革命のまさに渦中の出来事と、外務大臣としてどう考え、どう交渉したかという点が明瞭な筆致で描かれていておもしろかった。フランスの外務大臣として他国をどのようにトクヴィルがみていたかという点は、とくにスイスやロシアについての下りが面白かった。
・ジャン・マルテーユ著、木﨑喜代治訳『ガレー船徒刑囚の回想』(岩波文庫、1996年)
フランス絶対王政下のプロテスタントが古代ローマから用いられているガレー船の漕ぎ手として囚人生活を送っていたことを知って面白かった。囚人内での序列や差別、あるいは囚人生活の抜け穴(飲酒など)、24時間ぶっつづけでこぎ続けるための方法(上官がぶどう酒に浸したビスケットを漕ぎ手の口に含ませてくれる)など、詳しく書かれていておもしろい。
・平沢弥一郎『足の裏は語る』(筑摩書房、1991年)
左足を軸足にしている人が多いなど、運動生理学的におもしろい指摘がのっている。著者が無教会で聖書研究されていたことを最後の章で知って、びっくりした。
・法月綸太郎『パズル崩壊』(集英社文庫、1990年)
表紙デザインは京極夏彦さん。正統派の「重ねて二つ」、「懐中電灯」を読んだ後、数年間置いたままにしていたのだが、年末年始にふと手にとってみたら、とまらなくなって一気に読了した。「トランスミッション」、「ロス・マクドナルドは黄色い部屋の夢を見るか?」、「カット・アウト」の三編が特に印象深かった。もちろん法月氏はミステリー作家なのだが、僕はミステリーとしてよりも小説としてこの三篇を楽しんだ気がする。どこか心の痒いところをうまく引っかかれたような感じで、本を閉じたあと、しばらく余韻が続いた。こんな感覚は久しぶりである。
・北森嘉蔵『聖書百話』(講談社学術文庫、2002年)
・田中克彦『ことばと国家』(岩波新書、1981年)
・F・アイルズ『殺意』(創元推理文庫、1971年)
・A・バークリー『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫、1971年)
・A・バークリー『第二の銃声』(創元推理文庫、2011年)
・A・バークリー『ジャンピング・ジェニイ』(創元推理文庫、2009年)
バークリーの描写力は非常に優れていると思うのだが、犯罪の動機がことごとく男女のもつれ、不倫や浮気に関連しているのは時代のせいなのだろうか。