NHKラジオ「宗教の時間」で禅僧の藤田一照さんと腫瘍精神科医の清水研さんの対話が放送されていた。お二人の会話の表現というよりも、藤田さんからの質問に清水さんが答えるとき、文字通り「胸に手をあてて」答えられていたという藤田さんの指摘が印象深かった。そこで考えさせられたことについてメモしておく。
「頭を抱える」という表現と、「胸に手をあてる」という表現がある。どちらも身体の特定の部位に手を当てる行為なのだが、意味するところがだいぶ違う。頭には両手を、胸には片手を当てるというのも違いかもしれない。
「頭を抱える」のは、困っている時、途方にくれるときのしぐさだ。一方、「胸に手を当てる」のは、じっくりと落ち着いて考えるときのしぐさだ。
頭と胸でこれほど手を当てた時の意味が異なることには、なんらかの生理学的根拠があるのではないだろうか。もしその根拠がうまく探究できたなら、脳と心臓の働きの違いがより明確に理解できるようになるのではないだろうか。
同様の発想で人間の仕草や姿勢について見直してみるのも面白い。例えば、合掌や拍手、仏像の印などについて生理学的に考え直すとどうなるのだろうか。またそういう仕草や所作の心理学的な意味はなんなのだろうか。気になってきた。例えば、座禅の結跏趺坐では左足が上になるように足を組む。どうして左足なのか、解剖学的あるいは生理学的に説明できるのだろうか。
やや話は飛ぶが、終戦後に「手かざし」によって病気を癒すという不思議な宗教(岡田茂吉氏の世界救世教)が流行った時期があった。医学史に詳しい方なら、21世紀のような問診、検査、診断、治療の体系が確立する以前の医療では、催眠や漢方、祈祷による治療がかなりの効果を上げていたこともご存じであろう。
昔の人々は、身体の力を引き出す方法を、現在よりもっとよく知っていたのかもしれない。