明石海人の言葉 | Nothingness of Sealed Fibs

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

滝沢克己先生の『現代における人間の問題』(三一書房、1984年)を読んでいたら、ライ病を患ってなくなった明石海人さんの歌集『白描』から次の言葉が引用されていた(同書28頁)。印象深かったので覚え書いておく。

 

「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ、何処にも光はない」

 

「人の世を脱れて人の世を知り、骨肉を離れて愛を信じ、明を失っては内にひらく青天白日をもみた」

 

滝沢先生は、上記の言葉について、「西田幾多郎が『絶対矛盾的自己同一』と言い、カール・バルトが『インマヌエル(神ともに在ます)』と称えた、同じ生命の泉から溢れ出たものと言わなくてはならないでしょう」とコメントしている。

 

『現代における人間の問題』は、滝沢先生の講演3本とその質疑応答を収録している。明石海人さんの言葉が引かれているのは、山口大学学園祭での講演である。一般向けだったからかもしれないが、難解な用語がなく、宮沢賢治なども引用されており、読みやすい。

 

「自らが燃えなければ~」のくだりを禅の言葉でいうなら、「自明灯」となるのだろうか。真実・生命・自己の区別が困難になる一点を、区別が困難であるがゆえに確かな「生命の泉」として掴むためには、僕自身まだまだ探求が必要なようである。

 

ややこしいことは、ともかく。「日常生活を深海魚族として生き延びる」という明石海人さんの言葉は、読んだその時から僕にすんなり染みこんでいる。