downtownの謎 | Nothingness of Sealed Fibs

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

年末年始は紅白歌合戦をみたり、オーケストラの演奏を聴いたり、甥姪たちにお年玉をとどけつつ祖母のところに顔をだしたり、大河ドラマに合わせて久しぶりの石山寺にいったりした。いろんなあつまりが一段落して家でゆっくりと相方さんと話しているとき、「あれ?」となったことがあったので覚え書いておく。

 

中学生時代に英語の授業でdowntownを辞書をひかずに思い込みで「下町」と訳して恥をかいたことがある。downtownをちゃんと英和辞典で引いてみると「中心街」の訳があてられている。downとtownを文字通りとらえると「downした+townまち」となるので、僕は安直にも「下町」と訳してしまったわけだが、「下町(庶民的な町)」と、実際の英語の意味である「中心街(都会的な街)」は、まったく逆方向を向いているのだった。その授業にでるまで、僕は山下達郎さんの名曲の歌詞「DOWNTOWNへくりだそう~」を「下町に出かけよう」と誤解していたわけである。中学生当時の僕は辞書のいうことを素直に受け入れるタイプの人間だったので、「downtown=中心街」と頭ごなしに記憶し、この違和感の正体を掘り下げることはなかった。

 

この違和感の謎がとけたのは、一回目の大学にはいってヨーロッパ史について学んだあとであった。ヨーロッパでは町の中心部に教会がたてられ、その周囲にお役所や商業地域がならび、住宅がその外側につくられるという基本構造になっている。低地は道が集まり、交通の利便性が高くなりやすい。人の集まる教会は自然と低地に建造されるわけである。

 

一方、日本で低地といえば洪水リスクの高い場所であり、人が安心して住める場所ではないし、大切な神社や寺院を建てるにふさわしい場所ではなかった。日本の集落の成り立ちをみると、ほとんどの場合、山地と平地の境目に家が建てられ始めている。平地をなるべく田んぼにしたいという思惑も働いたのかもしれない。その結果、日本の場合、低地は外部から移住してきた人や、流浪の人・遊行の人・商人など、つまり土地に縛られない人が集まる場所となっていきやすい。

 

このように、ヨーロッパと日本での都市の成り立ちを知ってようやく、downtownが下町ではなくて中心街になる意味が納得できたように感じたのだった。だが、ここであらたな展開がでてくる。いわゆる「繁華街」という日本語は、結構downtownとうまく重なるように思われるのだ。繁華街は、江戸時代までは人が住んでいなかったような場所、つまり低湿地の地盤を改良し、開発して作られていることが多い。戦後にビルがたくさん建てられた繁華街には、downのtownとうまく語感が一致するケースがしばしばある。

 

言葉の意味には過去の歴史が詰まっている。言葉を話すということは、時間を積み重ねることでもあるのである。そんな風に時間について思いを新たにした年明けであった。しっかり休む日もいれておいたので、仕事始めはスムーズに入れたように思う。新年早々いろいろな出来事がおこり、気持ちは晴れようがないが、滝沢克己先生の「にも拘らずの哲学」に倣い、失われようのない希望をもって時間を過ごしていきたいと思う。

 

余談になるが、いままで数回訪れているにも関わらず、石山寺に島崎藤村が一時身を寄せていた密蔵院という建物があることに今回はじめ気が付いた。人間は関心のないことを見落とすものであるらしい。今の密蔵院は日陰になりやすい湿気だらけの場所に移築されているが、もともとは東大門の前の瀬田川を望む場所にある塔頭だったとのこと。教え子との恋愛関係に悩んだ藤村が「ハムレット」をもって数か月住んでいたとき、彼は石山寺と瀬田川とハムレットに囲まれ、何を考えていたのだろうか。