武器とやる気 | Nothingness of Sealed Fibs

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

コロナ禍が終息し、感染の大流行はおこらなくなった。ゆえに、めでたしめでたし、と単純にならないのが社会の難しいところ。

 

コロナ禍まっさかりの時期に原料輸入や製品輸送の問題で、精神科で使う薬剤の供給が不安定になった。その際におそらく製薬メーカーさんは自社製品の見直しをしたのではなかろうか。コロナ禍やウクライナ・ロシア紛争の影響がどこまであるかはわからないが、原料の入手が困難になり、製造コストがあがると、利益につながらない薬剤が淘汰されるのは、必然の流れではある。

 

アモキサンが発売中止になってびっくりしたが、その後もアーテン、ビペリデン、ピレチアの流通不足、ノリトレン、トリプタノール、トフラニールの流通不足などが続いている。最近、レボトミンも品薄と聞いて、ガクッとなった。

 

僕が精神科医療に携わるようになった頃にオーラップが発売中止になり、昔ながらの薬は少しずつ姿を消している。

 

精神科医療にとって薬剤は重要な武器である。武器が減ると、しかも古い武器が使えなくなると、どうしてもやる気がちょっと減ってしまうように思われるのである。

 

新しい薬剤も発売されているではないかとおっしゃる向きもあるだろう。だが、新しい薬剤ほど副作用が少なく、効果が多面的・マイルドになっている。近年登場したトリンテリックス、ラツーダ、レキサルティなどいずれにもその傾向がみられる。このような薬剤はあまり「とがっていない」ので、いろんな人にフィットするし、それなりに効果も出る。そうなると、診断名が同じなら同じ処方ということになりやすい。

 

弓矢、鉄砲、大砲、ミサイルへと武器が強力になるにつれて、武器を使う人間側の工夫は意味をなさなくなった。同じことが薬物治療の世界でも起こりうる。薬物治療の進歩(「汎用化」といったほうが良いのかもしれない)により、、医療者の工夫が不要になってくる事態が想定される。そして厄介なことに、人間は工夫が要らなくなると興味が持てなくなるという生き物なのである。

 

別の例えを挙げてみよう。食材を切るだけなら万能包丁一本あれば大抵の場合OKである。しかし、板前職人さんは食材や料理によっていろんな種類の包丁を使い分け、工夫されている。もし、急に鉄不足になって万能包丁以外の包丁が生産されなくなってしまったら、板前さんは仕事へのやる気を失ってしまうのではないだろうか。

 

患者さんにより良い状態で過ごしてもらえるための薬剤治療の工夫に、精神科医療の一つの魅力があると僕は思う。その意味で、個性的で古参の薬剤が減り、無難でマイルドな新規薬が増えていくことは、包丁の種類が減ってしまったときの板前さんと同じような気持ちを医療者に抱かせるのではなかろうか。

 

もちろん、なくなってしまう薬の穴埋めをどうやって工夫するかという問題は、それなりにやる気に火をつけてくれる課題ではあるのだが。製薬会社さんも大変だとは思うのだが、人間の精神に多様性がある以上、精神科の薬剤選択に多様性があるほうが、より患者さんに即した医療につながるのではないだろうか。もしも可能であれば、薬価を上げるなどの厚生労働省のテコ入れで、淘汰されつつある古いが捨てがたい魅力をもつ薬剤がのこってくれるといいなと願う次第である。