『ONCE ダブリンの街角で』 -ゆれうごく現実- | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

久々に直球ラヴ・ストーリーがみたくなり、前々から気になっていた作品をレンタルしてきた。


アイルランドの首都ダブリンを舞台に、地元出身のストリート・ミュージシャン(本職は掃除機修理屋さん)と、ピアノが大好きな花売りの女性との音楽を通した触れ合いを描いた作品。

楽器店で始められるギターとピアノのセッション、そこに重なるふたりの声は、音楽好きであれば耳を傾けずにはいられない濃密な時間が紡がれる。


掃除機の修理をきっかけに、そしてお互いの音楽の才能にふれてさらに惹かれあっていく二人。

しかし、女には、チェコに残してきた夫と、ダブリンまで連れてきている母と娘がいた。

男が作るのは、別れたのに忘れられない恋人に向けた歌だった。


デモ・テープをつくるためのレコーディングの休憩時間に、女はとなりのスタジオにあるピアノを弾き始める。

男が「君の歌を聴きたい」とうながすと、女は不幸な結婚生活を切々と歌い始めた。

♪あなたを満足させるたびに、私は自分が嫌になっていった♪


「一緒に、ロンドンに行って住もう。僕らはきっと成功する。」

「ええ。そしてライヴをして。」

「君の娘さんも一緒に行こう。」

「私の母もいい?」

「・・・」


最後の女の問いかけに言葉を返さない男。彼は、どちらともとれない表情をして見せただけだった。

おそらく、ここで、何か肯定的な答えを返したら、女は男と生きる道を選んだのではないだろうか。

そんな風に、ちょっとした言葉のやりとりで現実が大きく左右されてしまうことが、この世界には結構ある。


現実はゆらいでいる。ほんのちょっとしたことで大きく道が分かれてしまう。

いや、正確にいえば、道が分かれるのではない。

いくつかあった可能性が、一つの道として現実化するだけのことだ。

しかも、一旦、道が現実化してしまったら、もう可能性まで戻ることはできない。

僕らは、そういう不思議な世界に生きているのだ。

なぜ、そういう風になっているのか。いままで誰もその問いに答えを出せた人はいない。

この映画はそういう真実をしっかりとつかまえている。


結局、男は女を愛することを求めたが、女は家族と生活していくことを選んだ。

レコーディングが終った朝、男は女に「家で朝食を食べよう」と誘うが、女は「マチガイがおきちゃうから」と

誘いを断る。男は「後できなよ」といい、女は「うん、後で」と答えるが、女は二度と男を尋ねなかった。

答えは一つではない。好きな人と一緒に住むことだけが、答えではない。

女の選んだ力強い選択に、僕はMr. Childrenの「Any」を思い出した。


もし、誰かが僕と一緒に住むことを選んでくれるとすれば、それはものすごいことに違いない。

いや、正確にいえば、ものすごくものすごいことに違いない。

それゆえに、というほどの気負いがあるわけでもないのだが、

もしもそんなことを思ってくれる人がいたら、すごく大切にしたいなと思うのだ。