『めがね』 -人あるいは世界の表情をめぐって- | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

荻上直子監督の『めがね』を拝見。


この作品は、真っ暗な映画館でみるよりは、朝日の差し込む自分の部屋で見たほうがいい気がする。

めだったストーリーもなく、経歴も謎な登場人物たちが、なんてことのない会話をし、かき氷を食べる。

人によってはシンプルすぎて退屈に感じられるかもしれない。

しかし、その表面上のゆったり感とは裏腹に、この映画はradicalな一面を持っている。


「地球なんてなくなってしまえばいいと思ってました。」

民宿ハマダを訪れた主人公タエコ(小林聡美)は、映画の中盤でそんな絶望のセリフをしゃべる。

彼女は何に絶望しているのだろうか。


そのヒントは、同じくハマダの逗留客であるサクラ(もたいまさこ)の振る舞いにある。

朝、タエコが目覚めると、布団のすぐ横にサクラが正座していた。

「おはようございます。朝です。」とだけ告げてサクラは部屋を出ていく。

食事は民宿オーナーのユージ、地元高校の教師ハルナ、サクラといつも一緒。

人から逃れるために旅に出てきたはずのタエコは、ハマダ関係者に囲まれてしまい、嫌気がさしてくる。

でも、タエコがハマダで出会った人々は、まったく押しつけることをしなかった。

メルシー体操への誘いをタエコが断ると、「そうですか」とすぐに引き下がて、しつこく誘わない。

そういう暢気さに触れて、タエコもだんだんとハマダの魅力に気付き、「たそがれ」を実感できるようになっていく。


タエコを追ってハマダにやってきたヨモギ(加瀬亮)が口ずさむ詩の中にこんな一節がある。

「たまたま誰かが、私を人間と呼んだ。だから私はここにいる。」


もう十分すぎるほどに明白だろう。

タエコは、「仕事に追われ、時間に追われ続ける人間」であることに絶望していたのだ。

でも、「人間」という衣を脱ぎ捨ててしまえば、目の前には豊かな世界と自分が存在するだけ。

それこそが本当の自由なのではないだろうか。


「才能ありますよ。ここにいる才能。」 ユージがタエコにかけるセリフである。

ふつう映画は、時間を凝縮させ、人を移動させることによって物語を駆動する。

しかしこの作品においては、時間はむしろ解放され、人は停滞し、結果として物語も淀む。

そのかわり、『めがね』は場所を凝縮させようとする。

「ここ」という場所にとどまりつづけることで、タエコは世界の豊かさに触れるのだ。


そんな風に考えることが可能なのであれば、この作品は、

デカルト以降、もっぱら「考える自己」の解明にこだわって凝り固まった哲学に対して、

「むしろ、自己が存在するというときの、その存在をこそ問い直せ」と意義を唱えたハイデガーへの、

映画的オマージュと言えるのかもしれない。

「人間としての自分」という殻から出れば、「存在の味」すなわち実在感を享受できる。

美しい海の景観や波音、かき氷の味、ことわざ「梅は一日の難逃れ」など、

『めがね』が描く実在の世界は、充実したリアリティー(=実在感)を放っている。


蛇足だが、感じたことを一点だけ付け加えておこう。

この映画を観たとき、僕は、実写映画でなければできない表現を実践していると感じた。

逆を返せば、アニメーション映画では、この映画の意図する世界を実現できないと、僕は思った。

生身の俳優の表情には、アニメーションでは到達できない「表情の深み・多義性」が含まれている。

映画監督の小栗康平が指摘するように、「アニメーション映画には表情の深みが欠けている」のだ。


アニメには、決定的に表情が欠けている。これがアニメの特性である。

(もちろん、アニメでも線の柔らかさを利用した表現はありうるが、線だけでは表情を作れない。)

通常は欠点とされるアニメのこの特性を、逆に活用したのが押井守監督の『スカイ・クロラ』であった。

繰り返される日常の退屈を紛らわせるために行われる娯楽としての戦争、成長しないキルドレ。

『スカイ・クロラ』のモチーフは、すべて「表情の欠如」とリンクしている。

もちろんそれぞれのキャラクターには声色があり、物語における役割も与えられている。

しかし、彼ら、彼女らは一様に「うつろ」であり、その意味で表情を欠いているといえる。

つまり、『スカイ・クロラ』において、人間は表情を必要とする生を生きていないのだ。

したがって、『スカイ・クロラ』は、人間が表情を失うというある種の絶望のなかで、

あるのかすら定かではない希望を、さがしもとめた作品だったといえるのかもしれない。


ちょっと長く書きすぎたなぁ。反省反省。