夏が終わったようで。
ま、例年通りではあるけれど。
不思議なことに、春や秋が「終わる」とはあんまりいわない。
春や秋は「終わる」のではなく、「過ぎる」のだ。
「終わる」のは夏と冬のツートップだ。
そんなことはさておき。
今年の夏はいろいろあって、忘れられない夏になった。
一番大きかったのは、久しぶりに人をマジで好きになったことだろうか。しかもその好きになり方が相当僕の予想を超えてた。好きになり方まで好きになったのは初めてかもしれないなぁ。
大切にしたいとか、優しくしたいとか、守りたいとか、幸せにしたいとか、高価なプレゼントをあげたいとか、そんなだいそれたことではなかった。
くだらないことを話していたいとか、ふざけあいたいとか、おちゃらけたいとか、笑顔をみたいとか、そういうちょっとしたことでもなかった。
僕はただその人の近くで、その人をじっと見ていたくてしょうがなかった。見るのがつらいときは、体をぎゅっとしたかった。そう感じられたのだ。
そんな感覚を、いやその感覚だけを僕は「好き」と呼ぶ。それはあくまでも感覚であり、けっして感情ではない。
世界に意味があるためには、世界がある一つの視点から眺められていなくてはならない。ある一つの視点から世界を眺めるからこそ、遠近法が成り立ち、近くにある物事と遠くにある物事との間に「差」が生じる。この「差」こそが「意味」に他ならない。
この夏、僕はある人を好きになることで、新しい視点を一つ見つけたのだ。そして、それは同時に新しい意味の見いだし方を見つけたことでもあったのだ。
本当はその人がいなくても、僕はやっていけるだろう。
その意味で、彼女の存在は、本当には必要ないと言えるのかもしれない。
でも、その人がどうしても必要な場合よりも、いなくてもやっていけると思える場合のほうが、
実は、その人を深く、強く好きでいられる。そんな不思議な関係の中に僕は今いる。
そんな気がしている。