祇園祭には、縁がない。 | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

ものすごく、きれいに晴れた朝になった。

文字通り、澄み渡ってる。うぉー。


調子に乗って、背延びを3回してみた。

やべぇ。たちくらみが・・・(笑)


でも、きもちいい。

かみさま。僕に「せのび」という体の使い方を教えてくれてありがとう。

そういえば、むかし、プールの時間に「けのび」っていうのならったなぁ。


昨日は、祇園祭の宵山。44万人の方がいらしたそうだ。平日なのに、暇な人はおるもんだ。

そして、いよいよ今日は、クライマックスの山鉾巡行。朝九時スタートやから、もうすこしだなぁ。


あんまり人ゴミが得意でない僕は、せっかく京都に住んでるにもかかわらず、

おうちや、お気に入りの喫茶店で、本をじっと読んで時間を過ごしている。

大学生として住んでいた時も、結局一回生のときだけ宵山いって、

「うへぇー」って閉口して以来、のぞきにいってないなぁ。

だって、試験期間真っ最中やん!!無理やッて。現在レポート6本と格闘中。


祇園祭のような偉大なる文化を堪能することのは、ある程度、年齢を重ねてからでもいいやって気がする。

でも、偉大なる先達の本を紐解くのは、できるだけ、今のうちにやっておきたい。

本については、いつ読んだかが、結構重要な気がするし。

生きている時間は、そうながくないから、多少無理してでも、読みたい本を読んでいたい。


話は変わるが、

表面にあらわれている形、その形が何という名前で、どういう経緯でその形になったのか。

そういう視点よりも、僕は、その形をその形のように作った人間の思想を知りたい。


思想というと堅苦しいので、「配慮」と言ってもいいのかもしれない。

十二単の重ね着の色の名前とかよりも、その組み合わせの仕方に潜む「配慮」を知りたい。

お寺の造園術にみえる意図をしりたい。

山鉾の意図は・・・、まだいいや(笑)


というわけで、目の前に、未読のマルクスと未見の祇園祭があれば、まよわずマルクスを選ぶ。

僕は、そういう感覚の持ち主だから、祇園祭、遠くのBGMとして聞いているだけ。

平日の朝から、 好きな本を読める!!

そういう贅沢さのほうが好き。


自分の、目のこらしかた、耳の澄ましかたを、研ぎ澄ましていたいです。

たくさんの周波数をキャッチできるように。

愛する人を、きちんと感じられるように。


でも、多分、こうやって、あーだこーだと書いてしまうところをみると、

本当は、祇園祭に行きたいなぁ、という、思いもどっかにあるに違いない。

しかも、できれば、好きな人とと一緒に。

うん。でも、祇園祭じゃなくて花火でもいいけどね。

あれは、あれで首がいたくなるしなぁ。


さてと、愚痴を書いて、すっきりしたところで(笑)、レポートでも書くか!!

よっこらせ。