『クワイエットルームにようこそ』 -自分のうざったさの自覚- | Nothingness of Sealed Fibs

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クワイエットルームにようこそ


『クワイエットルームにようこそ』を見てきました。

内田有紀演じるライターが、自殺未遂をしてしまって、入院した精神科隔離病棟でのお話。

自分がご飯を食べることで、誰かの食料を奪っているという強迫観念のもとに、食べたものを全部吐き出してしまう少女、裕福な医者の妻として恵まれた環境で生活を送っているにも関わらず自殺未遂を繰り返す主婦、さまざまな患者が入院している。


ストーリーとしては内田有紀演じる主人公の精神的な快復を描いているが、かなり考えさせられました。

以下、ダラダラと感想まで。


(その1)

内田有紀が入院する閉鎖病棟で同室になった栗田さんが閉鎖病棟についていうせりふの解釈について。


「こんなに人がいるのに、こんなに孤独な場所ってほかにないもの」


この栗田さんというひとは医者の妻で、本人も美人で、なのに自殺未遂で入退院を繰り返している。
僕の直感で言えば、上のようなセリフを閉鎖病棟について言ってしまっている時点で、栗田さんは弱い。
上のセリフは、閉鎖病棟ではなくて、現実の娑婆について語られていなくてはならない。

現実の世界での孤独のほうがより深刻であると感じる感覚のほうが、たくましいからだ。

深い孤独を苦にしない存在であること。孤独こそがふつうであること。
むしろ人とのつながりが豊かにある状態のほうが異常であること。
そういった感覚が栗田さんにはない。

彼女が閉鎖病棟を「孤独」と表現することで、彼女は現実世界を生き延びるほどタフな精神を持っていないことがよく分かる。

他者とのつながりは、お互いが完全にはつながりえないという共通項の認識を共有することによってかろうじて生じる現象ではないか。


そのはかなさ、レアさを受け入れなくては、この世界を渡っていくことはできない。と思う。


(その2)

退院した内田有紀が行き着いたのは、「私は他人にとってうっとおしい存在だ」という過酷な現状認識だった。

ただ、この切ない事実に面と向かえたことで、なぜか内田有紀は前向きになる。これが人間の気分の不思議。

事実の認識を研ぎ澄ますだけで、暖かい気分になれる。「わかる」ことの力と言ってもいいかもしれない。

だから僕も哲学から卒業できないのかも。(哲学の本当の目的は、分かったことの意味についてまた考えはじめることなんだけどね)


(その3)

一番気に入ったのは、クワイエットルームに入った内田有紀を蒼井優がドアの隙間からのぞくシーン。
蒼井優は名前を呼ぶのではなく、「お~い、お~い」と呼びかける。
これに対し、内田有紀も「お~い」と答える。
なんだこの、原始的なコミュニケーションは!

人は、呼びかけによって、存在から存在者になる。(ハイデガーのぱくり)


(結論)

松尾スズキ、たしかに、こいつの感性はなんか深い温かみに届いてます。