人の痛みへとどくこと -『包帯クラブ』- | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

三連休はほんと、あっという間。2日間は仕事に出て、3日目に漸く休むことができた。

連休の締めくくりとして、話題の映画『包帯クラブ』を観てきました。


話の中身は、心に傷を負った人々を癒すため、依頼の場所に包帯を巻いて回るクラブを結成した若者たちの青春ストーリー。


個人的には、この作品、いいと思う。


まず、「包帯まくだけで、世界が変われば、めっけもん」という主人公ディノの台詞がいい。

この台詞は、見た目は適当な感じだけれど、内実は、ある種の祈りだ。

自分の行為がどのような効果、結果を生み出すか分かりきらない状況で、自分の行為に賭ける。

いや、賭けるというと少し重たい。自分の行為で「遊ぶ」とでもいったらいいか。


人生に、一生懸命に取り組む価値がある事柄があるとすれば、「遊び」しかないと僕は思っている。

このときの「遊び」とは、真面目になりすぎないで物事に臨む態度と言い換えることもできる。

だから、学問だって遊びだし、仕事だって遊びと言える。


ディノは、「人間の心の痛み」という重みを、「遊び」によって軽くしていると言えるかもしれない。


それに、自分の行為が「正しい」と言い切れないことを自覚しているところ、とはいうもののその言い切れないことをネガティブにとらえずに、むしろ明るく言い放っているところ、そのあたりの感覚がいいと思う。


人間の行為は複雑である。同じ行為が、良いほうにころがったり、悪い方向にころがったりする。

当たり前のことだが、行為する本人には、自分のなしたことが、どう転ぶかなんてあらかじめ分からない。

裏返していえば、ある行為のよしあしは、常に、行為がなされた後で決まるのだ。

(もちろん、どうころんでも悪しという行為はあると思うが、この流れからは省く。)


だとすれば、いっぱしの人間ができることといえば、畏れずに行為し、その結果、悪くなればその対処をする。

それしかないと思う。

真面目に正しいことだけをしようとすれば、何もできなくなる。


勘違いしないほうがいい。人を救えるのは、その人自身しかいない。人を癒せるのは、その人自身しかいない。

救いのヒントやきっかけ作り、癒しのヒントやきっかけ作り、それぐらいしかまわりの人にできることはないのだ。



柳楽君はいい俳優になった。織田裕二に若干似ている。

石原さとみは、あんまり他のドラマとかと芸風が変わらないんですけど。でも、結構素っぽいところがうまい。


生きていくって結構タフなことだとおもう。

すべてが多義性をもつ世界で、自分という芯を貫いて生きていくのはかなりハードだ。

でも、ちょっとした優しいさや、気遣いの積み重ねで、人がそういうタフさに立ち向かえる気持ちをもてるなら、ちょっとしたことを積み重ねればいいじゃないのかと思う。


『包帯クラブ』はそんなことを僕に考えさせてくれた。


岩井俊二のエッセイを立ち読みしたら、『なにを観たかではなく、いつ観たかが大事なんだ。』という言葉があった。

そんなものかもしれない。