シュガー&スパイス-風味絶佳-  | Nothingness of Sealed Fibs

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

先週末は毎日飲み会が会って、なのにどれもすごく楽しくて、身体はきついけど、良い時間を過ごせました。

金曜日は高校の同期4人と。相変わらず変な奴らにあって、僕自身が決してはずれすぎている訳ではないことを確認。

土曜日はサークルOB会練習後の飲み会。もう定年退職が近い大先輩ばかりだが、とても柔らかい方が多く、単純に歌好きな先輩方の情熱にとっても暖かい気持ちになりました。

日曜日は小学校の同級生と4人と。前にあってもう8ヶ月ぐらい経っていたけど、てきとーな話で盛り上がったのでした。

と、まあ、遊んでばかりの週末でしたが、そろそろ映画みた話も更新します。


今日は、GW前半に見た映画『シュガー&スパイス』について。




僕は、なんだかんだいって恋愛映画を結構見ます。人間にとって、愛って普遍的な感情だし、世界の幸せと不幸はほとんど愛によって作られているから、愛についていろいろ考えるのは僕にとっては至上命題だ。個人的には、愛とはなんぞやという問いにそれぞれの人が答える仕方によって、その人の魂の質が分かると思ってるぐらいだ。というわけで、僕は結構恋愛映画を見る。動機はあんまり普通ではないかもしれないが。


この映画は、タイトルからも分かるけど、「恋愛にはやさしさだけでなく、たまにタフさも必要だ」ということがメインテーマなようだ。

ふ~ん。そんなもんですか? 多少浮気ものだったり、冷たい男の方がもてるってことなのかな? よくわからん。


すくなくとも、やさしさとタフさを意識して使い分けているのは、ホストみたいなことになって、愛だと言い切れんのではないかと思う。


意識していないのにやさしさとタフさが生じる人間関係とはどんな状況に成立するのだろうか。


僕のイメージでは、2人の人間が、それぞれ、自分の道をひたすら歩んでいる互いの魂を愛するとき、やさしさとタフさが生じるのではないかと思う。ひたすらさ、一生懸命さは、時に周りの人間を振り回す。その振り回しこそがタフさなのではないかと思う。


もし、相手のことが絶対優先であれば、タフさは生まれてこない。2人が互いに寄りかかっている同士の間には依存と追従ばかりで、タフさなんて出てきようがない。

たとえば僕を好きになってくれた女の子に、「いつもあなたのことばかり考えている」と言われたとき、普通なら喜ぶところかもしれない。でも僕はそれを重荷に感じる。呪いのように感じてしまうのだ。これは、時代のせいなのであろうか?


そういえば、サン=テグジュペリは『人間の土地』で愛について素敵なことを言っている。

「愛とは、2人で同じ方向を向くことだ。」


2人が互いに見つめ合うのではないところがミソなのではないかと思う。

いつも視界にいる。のではなく、つねに傍らを見るといる。そういう関係性のことなのだろうか。


同じ方向を向くというのは、多様な解釈を許すけれど、僕は、「ひたすらに存在する」ということだと思っている。

「ひたすらに存在する」ことの具体例は二人それぞれ違うことをやっていてもいいのではないかと思う。

ただ、ひたすらという点においてのみ、同じ方向を向いている2人であれさえすればよい。


密度の濃い人生を送る魂を互いに敬意を持って臨む。これが僕の愛のイメージ。


なんか取り留めなく書きました。

映画自体は青春映画だから、多少、僕のようなオヤジにはすでになくなった若いノリがあふれていて、まずまず。

一番印象に残ったのは沢尻エリカが戸田奈穂と似てるってことぐらいです。へぇ。


愛については、本当は「プラトニック・ラブ」=「プラトンのいうところの愛」、キリストの愛につぃてもっといいたいこともあるが、

今日はこの辺でもう寝ま す。