この2週間休みなしで、仕事。正直だるくなってきた。
昨日はさすがに心が磨耗したので、20:30頃に仕事を切り上げて帰路へ。
でも、ひさびさにお店が開いている時間に新宿を歩くと、ついつい足が駅への道から逸れる。
衝動買いで、小説を3冊を買ったあと、小田急線乗車。新百合ヶ丘で降りて、2週間ぶりに映画館へ。
昨日から公開された虹の女神(Rainbow Song)を見た。
ここ最近、日本映画は純愛ものが多い。セカチューブームで皆飽きたのかと思っていたがそうでもないらしい。
現代で皆がある程度共通に面白く感じれることといったら、恋愛・結婚・子育てぐらいしかないかもしれない。
通過儀礼を馬鹿にしてはいけない。重要だからこそ通過儀礼となりうるのだ。純愛映画、まだまだ来るかもしれない。
話を映画に戻して。
なんとなく、映画を見たくなったときに、たまたま岩井俊二製作の映画があったということでついつい見に行ってしまった。
ストーリーは大学の映画研究会に所属している同級生が、互いに惹かれあいながらも、ちょっとしたすれ違いでうまく行かないというおはなし。画面の雰囲気は『花とアリス』。とても静かでナチュラルっぽいテイストが好きな方にはお勧めです。
以下、四方山話↓↓↓
「好きだ」ってはっきり言うことがどれだけ難しいのか、自分のことをふりかえって思い出す。
言葉ではっきり言ってもうまく行かないことがあるし、はっきり言わないからうまく行かないときもある。
いい方によっては逆の意味に取られたりする。恋愛とは、ほんとにややこしい。
先輩で、はっきりプロポーズしないままに結婚したという猛者もいたけど、それはきっとごく一部の例なのだろう。
心に残ったせりふを1つ。
「こんなんで結婚きめちゃう奴もいるんだろうな。」
もう、世界には手垢にまみれた感情しかない。オリジナルな気持ちなんてどこにも無いのだ。結婚だってそう。
僕は共感する。明らかに男向きのせりふだけどね。
涙について思う。
涙って、 対象がなくなって行き場を失った思いが身体から溢れる仕方なのだ。
好きな人を失う。大切な人を失う。失った人への思いが行き場を失って涙になるのだ。
その点が、この映画をみてなんか腑に落ちた。
でも、この映画の最大のポイント(だと僕が思うの)は、映画全体が序章になっているところ。
本当に語るべき事柄は、ラストシーンからはじまる。
おそらく、この映画を作った人たちは、全ての人間が、生まれながらにして「大切なものを失ってしまった存在」であることに
しっかりと気付いていたのだ。
自分が「生き残ってしまった存在」であるという自覚。わけもなくこの世界に取り残されてしまっているという感覚。
それは、あらゆる可能性を刻一刻と失っていく自分という生き方を、別の角度から見直した視点。
この映画のラストはそんな生き残ってしまっている自分へのあいまいな希望を示す。
それは、それを希望といわなかったらほかに希望と呼べるものがない世界での生き方をラピュタの飛行石のように指し示す。
こんなへんてこりんな文章で、映画のよさが伝わったとは思えないけど、興味のある方。是非。
虹の種類も勉強できるし、風の吹かない日の水溜りの美しさにも気付ける素敵な作品ですから。
