3月25日は修了式。

約2か月、臨時代用で
特別支援学校につとめる日々が
終わりました。

 

 

人間関係について、

対人支援について、

発達の多様性について、

 

学んできたことを、

現実的に実践して、

実感して腑に落としていく

日々でした。

 

 

 

 

ほぼ専任で担当となった生徒さんが、

とても印象的で、

もろもろの象徴的なかたでした。

 

 

肉親の育みをうけることなく、

施設で成長しているかた。

 

 

大学生のとき、

教育実習の日数をこえる

日々の交流。

 

 

立場、役割はありますが、

人間としては対等な

関わりです。

 

 

器質的な知的障害と

肢体不自由がベースにあって、

 

愛着形成のプロセスが

十分でなく、

言葉はなく、

いわゆる自閉的な傾向がありました。

 

 

・・・

まず、

信頼関係を結ぶ。

 

なにを感じているか、

なにを恐れているか、

 

どうすれば、安心して安定し、

緑の状態でつながることができるのか。

 

 

 

 

 

かつて。

 

コミュニケーションが破綻して、

シェルターに逃れたときに。

 

避難(保護?)

十九歳の妊婦さんがいました。

 

 

妻子ある男性との間に妊娠。

 

 

彼女は、

ひとり目のおこさんも
破水してはじめて

妊娠に気づき、

産後すぐに乳児院に預けたと、

話してくれました。

 

当時は入籍していたそうですが、

暴力的な義理の父親から

逃げるための結婚で、

すぐに別れた、そうでした。

 

 

彼女にとって二人目のおこさんが

産まれてしばらくの間、

交流していたのですが、

 

この二人目のおこさんも

乳児院へと預けていました。

 

 

ふと、彼女のことを思いだし、

 

施設で育つということは、

どういうことなのだろう。。。

あらためて思いました。

 

 

あの日々のひとつの答えが、

いまここに。

 

 

 

職場には、

特別支援教育の

草分け的存在の、

先輩がいらっしゃいました。

 

 

半世紀を超える、

特別支援教育への取り組み。

 

 

ご一緒させていただくだけで、

さまざまな知識やご経験、

悲喜こもごもの感情を、

感じさせていただくことができました。

 

現場での実践は、

なにより、

深く分厚い、学びをくれます。

 

 

濃い日々で受けとったギフトは、

これからじんわりと

実感されてくると思います。

 

 

 

 

もうひとつ。

 

 

私の奥で

息づいた感情がありました。

 

 

母性、的なもの。

 

 

私が子育てに参加したのは、

4歳~16歳の間。

 

 

妊娠した経験、

出産した経験、

乳児さんと愛着形成した経験は、

ありません。

 

 

特別支援学校にきてはじめて、

おむつを替える経験をしました。

 

 

知的障害がある生徒さんへの

対応は、

乳幼児さんへの対応に

似ているところがあります。

 

 

前の入籍では、

育ての母として、

育児には途中参加でした。

 

 

もともと、

自閉傾向があり、

社会性がとぼしく、

人と親密な交流が苦手な私が

育児への途中参加。

 

諸事情により、

生みの母さんとの交流が

続いていたので、

 

全面的に母親、

という役割は、果たしていなかった。

 

 

結局、

私がシェルターに避難し、

あの家族を強制終了させたとき、

 

一晩だけ、

シェルターにこどもを連れて

泊まりました。

 

 

翌日、

生みの母さんに迎えにきてもらい、

バス停で、二人と別れました。

 

 

別れた時点での、

弟さんの年齢(学年)と、
 
今回、特別支援学校で

担当となった生徒さんの

学年が同じでした。

 

 

意識していたわけではないけど。

 

 

あの日、あのバスターミナルで

止まっていた時間が、

 

つながった感じがしたのです。

 

 

言葉にならなかった、

淋しさ、申し訳なさ、

もろもろの、

分断された別離のダメージが、

 

どこかに残っていたのだなあ、

と。

 

 

そのダメージを感じると同時に。

 

別れていったお二人にも、

なんらかの傷みが、

残ったのではないかと、

感じました。

 

 

あの時の、

自分と、お二人と、

生みの母さんの心に、

息づいていたものに、

共感してみる。

 

 

そういう感じで、

人に、自分に共感することを、

あんまり私は

してこなかった、と感じました。

 

 

 

 

 

このタイミングで、

手にした書籍が、

 

NVC(非暴力コミュニケーション)の
わかりあえないを越える

 

 

 

調べると、

NVCを体系化した心理学者
マーシャル・ローゼンバーグ博士は、
天秤座の生まれでした。

 

 

 

1934年10月6日生まれ=24(数秘6)

 

亡くなった日が、

2015年2月7日

 

2月7日は、

勇気の心理学、

アルフレッド・アドラーの誕生日、

という、

私得な一致。
 

 

 

誕生日バイアスがある私に

とって、

 

天秤座~水瓶座への

風エレメントのリレーで、

対話コミュニケーションを

学ぶって、

 

この天秤座の満月に

象徴的に過ぎると、感動ものでした。

 

 

冥王星水瓶座になってから、

アドラー心理学についても、

ていねいに学び直しています。

 

 

 

 

非暴力コミュニケーションは、

共感的コミュニケーション

ともいわれます。

 

 

帯コメントにこうあります。

 

対話への勇気がわいてくる。

 

「とちらが正しいのか」の先へ

 

 

暴力をともなわない、

平和の言葉でコミュニケーションする。

 

とても重要とされるのが、

次の2つの問いです。

 

 

 


わたしたちの内面で、

何が息づいている・生き生きしているか?

What's alive in us.

 

人生をよりすばらしいものにするために

わたしたちに何ができるのか?

What can we do to make life more wonderful.

 

 


6日生まれの

ローゼンバーグ博士は、

ものごとの本質、

愛の本質を、

よりシンプルに、

表現してくださる、と感じました。

 

 

 

 

 

 

私は、

一方的に、

暴言、暴力を浴びせられる、

という経験をしました。

 

 

暴力的なコミュニケーション。

 

 

対話でのコミュニケーションは、

破綻していました。

 

 

表面的に、

外側から見ると、

彼のとった手段は暴力、

バイオレンスでしたが、

 

 

彼の中で、いったい、

何が息づいていたのか?

 

 

こういった回想をすると、

まったく違った側面がみえてきます。

 

 

 

暴力はほんとうに、

一方的なものだったのか?

 

 

 

先の書籍の帯コメントには

こうあります。

 

 

 


家族とのすれ違いから

集団間の深刻な対立まで

あらゆる状況で活かせる4つのステップ

 

観察

判断を手放して「何が起こっているのか」をありのままに感じる

 

感情

その瞬間に湧きおこっている「心の動き」を感じる

 

ニーズ

感情の奥にある「本当に大切なもの」を探る

 

リクエスト

お互いの「人生が豊かになる選択肢」を提案する

 

 


ローゼンバーグ博士の背景には、
二度の世界大戦を経て、

東西に、南北に、

分断されていく世界があります。

 

 


 

 

最初から、

暴力・暴言があったわけではない。

 

 

そこにいたる過程プロセス。

 

 

彼の嘆き。

 

 

 

私に。

ニーズはあっただろうか?

リクエストはあっただろうか?

 

私は、

家族に何を求め、

家族によって何を得ようとしていたか。

 

 

私に、

望み、楽しみ、喜びは、

あったか?

 

 

 

 

日々をたんたんと、

消化してこなしていた、

 

義務の作業をこなす日々、

 

根底にある自己卑下と自己憐憫。

 

 

学校時代は、

休み時間が苦手だった私は、

 

家族をはじめても、

休日がくるのがおっくうで

むしろ恐怖で

 

 

何をしたらいいかワカラナイ

 

 

仕事に逃げて、

家族の交流をさけて、いた。

 

家族がいても、

とくに、

夫であった彼に対して、

わかりあおうとせず、

自閉的な態度を、続けていた。

 

 

 

 

 

彼は、

蟹座みが強い双子座さん。

 

風エレメント(双子座、天秤座)

水エレメント(蟹座)

が、優勢。

 

火のエレメント0。

 

 

私は、

獅子座みもある乙女座。

 

地エレメント(乙女座、牡牛座)

火エレメント(獅子座、牡羊座)

が、優勢。

 

風のエレメント0。

 

 

 

私たちは、

結婚して、育児をとおして

夫婦へと成長していく経験もなく、

 

 

二人ともが、

どういう家族を

つくっていこうという、

目的の共有が、

できていなかった。

 

 

 

そんな中、

彼のスピリチュアル傾向が、

当時の状況ともあいまって、

対等な関係に水をさし、

 

 

対話を避けたい私が、
 

彼がもっていた
アディクション(依存性)を、
ただただ助長して。。。

 

 

 

 

家族の調和は、

育み、育てるもの。

 

 

彼を家族をリードして、
調和の環境をととのえ、

 

家族がめざす方向性を、

提案していくのは、

 

ほんらいの質を考えれば、

私の役割だった。

 

 

安心安定、

調和の土壌に、

 

彼のもっていた

天性の楽しみ上手、喜び上手が、

花開けばよかった。。。

 

 

いま思えば、彼は、

双子座の新月の翌日生まれで、

 

誕生日の数秘は1(28)

 

 

彼は、

28日生まれの私の、

安定力と調整力を、

参照しようとしていたのかも。

 

 

なにより安定が苦手な人。

 

私は、

単調で安定した「こなす」日々が

得意な人。

 

 

 

 

 

思いやりのある

与え合いが可能になるような

つながりをつくりだすこと。

 

を目的とする、

非暴力コミュニケ―ション。

 

 

太陽、金星、木星が

天秤座にある

ローゼンバーグ博士のもつ

説得力。

 

 

翻訳書ではあるけれど、

読んでいて

女性性を感じたのは、

 

博士の月星座が乙女座で、

乙女座ステリウムの私には

しっくり馴染んだからかも。

 

 

 

 

わかりあうためには、

 

アタマで考えることをやめる。

 

相手を分析したり、

診断したり、せずに、

 

「べき」だと、

強制することもしない。

 

 

 

ただ、

相手のニーズに

心、ハートで共感し、

あなたに関心があると示す。

 

ともにある時間をわたす。

 

 

 

相手に息づいているもの、

相手のニーズに共感して、

 

相手の内面にある

うつくしさをみる。

 

 

暴力というのは、なにも、

殴る蹴る、ののしる、

だけではなくて。

 

 

こうするべきだ、

こうせよ、

という強制も、暴力的であって。

 

 

パワー・オーバーと、

パワー・ウィズ

 

パワー・オーバーは、

相手を服従させて

なにかをさせることで、

そのために、懲罰や報酬を用いる。

 

 

 

 

 

博士は、

嘆きと謝罪は異なる、とします。

 

 

謝罪は、

パワーゲームのひとつ。

 

 

自尊心を傷つけ、

罪悪感をいだき、

自分はいたらない人間だと認めで、

十分に後悔したときに許される、

そんな、ゲームだと。

 

 

自分の真のニーズは

なんだったのか、

 

そのときのニーズに
心から共感したときに

癒しがおこる、と。

 

 

 

・・・暴力が

エスカレートしていくさなか、

 

私が口にしていたのは、

「ごめんなさい」

 

 

繰り返す謝罪が、

 

二人のそして、

家族の、

関係性を豊かに育むことに

つながりはしなかったと、

思い起こしています。

 

 

 

 

 

こんな風に、

回想してみるだけ、

 

私の対人関係、

社会性は、成長してきたなと、

しみじみ思います。

 

 

・・・

 

つながる人が

増えたからじゃない?

 

 

いまの夫は、

双子座みの強い、蟹座の人で。

 

共感しすぎて

行動できなくなる

情がとても深い人。

 

 

夫は、2011年から、

私を定点観測しているので、

 

ときおり、

なるほど、な、言葉をくれます。

 

 

双子座、天秤座、水瓶座、

 

風のエレメントの

ゆりかごに育まれながら、

 

対話コミュニケーション

和やかな人間関係について、

アップデートし続けていければと、

思います。