同じところ(ソース、源)からきて、
なにか、どこかの源になる。
ペルシャ猫のテリーが空に還って、
猫と人間だったときよりも、
一体感を感じています。
だから、思うのです。
same source
同じ源から、きた。
one body one soul
ひとつの身体に、ひとつの魂
そんな風に認識しているけれども。
それは曖昧なのかも知れない、と。
人間を体験するって、
身体に宿って、
身体とともに人生をあじわう形が
スタンダードだけど、
エネルギーの状態で、
だれかを見守り、
ともにあることで体験することもできるし、
猫として、
人間によりそって
人間の体験を感じることもできる。
どういう形をとるにせよ。
ひとりの人間の体験は、
ひとりで完結するものではなくて、
その人のソース(源)へと影響をあたえる。
そして、
そのソースが、またなにかの源となって、
あたらしい人間や
星などに宿って、
次の体験をつむぎだす。
some source
なにかの源に。
*
自分の体験を、
自分だけのものにしない。
体験しているその瞬間に、
おこる反応(感情や意識)をあじわうのはもちろん、
この体験は、
どこでどんな風に役立っていく、
意味をもっていくのだろうと、思いをはせる。
そうやって。
人間に宿って、
限定的な自己をあじわっているさなかにも、
自分のソースに思いをはせる。
すると、
体験の意味が深まり多重、多次元的になって、
幾重もの気づきがおこっていく。
気づきが深まり、奥行きをもっていく。
ソースに思いをはせるとともに。
パラレルワールドとの共振も
大切なのだと思います。
三次元の人生では、
この瞬間に、選択をすることで、
人生が枝分かれしていく。
枝分かれしていく先は、
いまの時空だけとは限らない。
過去世、前世と認識されている人生も、
よく意識にあがってくる
気になるものは、
パラレルに存在しているのと同じ。
どこかの人生での後悔や無念を、
いまここの人生で、
叶えていく。
塗り替えていく。
あのときと同じ選択をくりかえさず、
より、
自分が心地よい、
魂の思いにそった選択をすることができれば、
パラレルに展開している、
あのときの人生へもエネルギーが影響して、
報われていく。
*
同じことは、
過去世、前世の側にも言えて。
あちらからも、
パラレルの時空でおこっている、
いま(過去からすれば未来)の人生を感じて
ようすを伺っている。
未来世から、エネルギーをもらって、
現実を切り開いている。
*
ひとつの人生での思いを、
ソースへ、
パラレルの人生へと、
共振させていく。
思いを、気づきを、
複数のパラレルで共有して、
ともに、
変化していく。
複数のパラレルが、
オーケストラのように響き合って、
ソースへと、
想いを、体験を、還元していく。
この時期、
秋にはじまったドラマが終わっていきます。
ニッポンノワールと
シャーロックの最終回をみました。
警視庁の人を演じている俳優が同じだったりして、
警察をかくことで、
闇の世界をテーマとしている部分が
共通していました。
ニッポンノワールが扱っていた
人体実験とか、人格矯正というテーマは、
いつか来た道で、
どこかにある道なんだと感じました。
私も前の家族で、
マインドコントロールや矯正を体験しました。
体験したことは、自分にも種がある。
宇宙時代の思い、
地球で宇宙人がしてきたこと、
いろんな闇(重い)の思いをひきうけて、
フィクションが成立している。
スピリチュアルでは、
光が、おおく語られます。
だけど、
よいわるい正しいを超えた世界では、
光があればおなじだけ闇があって、
バランスをとっている。
闇も周波数の違う光で。
闇の世界を作品にしてもらって、
私にとっては、
これは、
闇の世界へのレクイエムなのだと思いました。
闇に生きることだってできる。
闇が現実、
そういうパラレルもある。
闇に生きたこともある。
この人生でも、
闇の世界にもふれました。
けど、
いまの私にとって、
闇は、フィクションで味わって
それで十分な世界。
ということは。
裏を返せば、
いま、
闇の世界こそが現実で、
光の世界がフィクションに思える
人だっているのでしょう。
光から見て、
闇から見て、
光も闇も混とんとしている世界。
だけど、
日本に生まれた、それは、
どちらかといえば光を志向しているのだと
思い直して。
光、というか、
よりかろやかで、より明るい世界を、
めざしていこうと思います。
*
東京直下型地震も、
フィクション(ドラマ)として映像化されました。
東京オリンピックにまつわる物語
「いだてん」では、
戦争でまぼろしとなった
皇紀2600年の東京オリンピックと、
現実に開催できた
1964年の東京オリンピックが映像化されました。
来年、2020年の3度目の東京オリンピック。
闇の想定だってあります。
テロがおこるとか、ね。
実際、そういうことをおっしゃった
お客さまもいらっしゃいました。
自分にはミッションがある気がする。。。と。
(闇の、です)
だけど、
2019年に
闇の側面はたくさん映像化されたから、
映像化されたもの、
フィクションによって
必要な感情体験がおこったから、
だから。
私が認識している、
この現実の世界では、
光の祭典となることを、願います。
*
夢として、
フィクションとして、
映像化され、疑似体験されて
消化されていく、
たくさんのパラレル。
これからも、
けっこう現実味をもったパラレルが、
たんたんと、
消費されていくのだと思います。
パートナーは、しばらく、
空に還った猫のテリーの気配を感じていたそうです。
だけど、もう、
希薄になったそう。
テリーが次に体験するパラレルは
どんなものでしょう。
テリーがどこのパラレルで、
依り代(身体)を得ているにせよ。
ソースを同じくする私たちの意識は、
つながっていて、
ただ、愛を体験するのだという、
テリーの意識は、
私の思考をマイルドに円満になだめてくれています。
破壊なくして創造なしとか、
そんな破滅的なエネルギー衝動もありました。
この人生でも、喜怒哀楽のうち、
哀愁や怒りに陶酔してきたりもしました。
ひとりよがりの絶望に、怒り。
だけど、こうして、
闇の世界が、
フィクションとして成就していくのを感じながら、
破壊のない創造だってあるのだと、
喜びのなかでつむがれていく、
二極のバランスもあるのだと、
光に満ちた、
まずは、自分の中で、
体験していきたいと思います。