ゲートは何処?

訳の分からぬまま案内されて行く
バスが出口を出るとバスが停まってた。

いったいどこへ、半信半疑のまま
そのまま乗せられ移動

違う建物に到着。

そこでバスを乗り換えて飛行機へ
向かうことに。不安。

飛行機が見えてきた、窓が少ない。

この飛行機、これからお世話になる
ソ連製のイリューシン・ジェット

窓が少なく、貨物に転用可能なやつ

全く判らないまま指定座席に
明らかに古い機体、椅子等々。

このジェットでルーマニアに向かうの~

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空港でのトラブル

1 よく聞く話は、乗り換え間違い。

2 乗り換え地で搭乗時間が長いため
  散策と買い物をしていたら迷子に
  結果乗り遅れ。

3 同様に、オランダ・アムステルダム
  のスキポール空港。

  ハブ空港で多くの乗継便が行き交うところ、
  乗り継ぎには、待ち時間が長く、

  特別上陸が可能なため、この時間を利用して
  アムステルダム観光へ

  移動には電車を利用するため、
  この車内でスリ、置き引きにあって

  結果搭乗できないケースが

  一人旅なら問題も最小限に済むけど
  家族、グループ旅行の場合、

  盗られた人を置いて旅立てず、結果、
  みんなで目的地に到着できないほか、

  ホテルの確保、パスポートの再発行等々、
  手配することは一杯。

  パスポートを失くすと直ぐ発行してくれず
  旅行がパーになることも。

  今はコロナで年末年始海外旅行は
  出かけられないけど、年末年始は

  犯罪者にとっては、書き入れ時
  注意が必要ですね。

シャルルドゴール空港到着。

空港内は、別世界(に見える)です。

移動のエスカレーターは円柱の中を、
幾本のエスカレータが上下左右に交差し、

SF映画を見ている状況だった思い出??。

???(思い出は美化される❓)

感動と驚きで、実際以上に別の世界に入り
込んでしまった映画のシーンと重なります。

何処に向かっているか判らないまま、
前を行く人の後ろを付いて進みました。

入管のブースまで来ると半円柱のガラス張りの
中に係官がいて、いきなりフランス語で尋ねます。

一瞬聞き取れず、ポカーンとしていると
後ろの人が英語で滞在目的を尋ねているよと

教えてくれました。

「乗り換え、乗り継ぎ」と答えると
航空券の提示を求められ、慌てて出して

どうにか入国審査をパスし、
携行荷物の出てくるゲートの番号へ

指定のゲートで荷物を引き取り
税関検査を受けるため税関ブースへ、

ここでは何故か申告書を提出して
何も問われることなく通過。

やっと、飛行場の乗り継ぎエリアへ
(オルリー空港へ)
この乗り継ぎも大変だった記憶が


空港内のオールリー空港へ向かう
バスステーションとバス探し。

始めて見るドゴール空港に感激し
余韻に浸る暇もなく、

空港内のバス案内を見つけるのにも一苦労、
チケット・カウンターへと思っても、

空港職員に始めは英語で尋ねるも無視
拙いフランス語で必死に尋ねたよね

なんとか通じて、行き先を教えていただきました。
半分以上は、解っていたかは不明ですが、

どうにかバス乗り場を見つけて、
オルリー空港行きバスに乗車

この移動の際のバスからの景色の記憶が
緊張で全くないのが悲し現実。

オルリー空港へ着くと
乗り継ぎ便出発まで5時間以上あった

バスは、心配することなく
空港まで事故もなく、余裕を持って着くが

問題は、着いてからこの空港で始まる。

到着後、空港内に入って掲示板探し、

現在と違い、掲示板はカタカタ、
パタパタと音をたてて表示が変わるやつ

出発地向けにゲートが異なるので、
行き先ゲートを見つけるのもちょっと

一苦労

空港職員に尋ねながらどうにか
到着してみると

掲示板に乗り継ぎ便が表示されているので
一安心。

「カウンターが開くのを待ちチェックイン」
予定、かなり時間があるので、

物珍しもあり、空港内を散策。

その後、椅子に座って本を読んで
時間をつぶしていたら、

掲示板から乗継便が消えた~

大変だ、大変だ(心臓がバクバクしてくる)

カウンターに戻って尋ねるも判らない、


空港職員は、その内案内が有るからとおっしゃるも
心配で、心配で、搭乗便が欠航したら ???

ルーマニアへの連絡(現在のように携帯もない)
どうするのか本当に焦った。

ただ、時間が刻々と過ぎて行く~~

掲示板で行き先と時刻をもとに
ブカレスト行きの便を必死に探す

エールフランスが消えた後、
ルーマニア航空便が表示されている。

あった!

出発時間は違うが、取りあえず
ルーマニア航空のカウンターへ

乗り継ぎの搭乗券を見せて、
これで乗れるのか必死に尋ねた。

(急遽、搭乗者が少ないため、
ルーマニア航空に登場替えに
なったらしい)

どうにかこうにか意志が通じ
現在の状況が判明した。

勝手に共同運行になった後で
解ったことだけど

空港内アナウンスも行われていたようだ!

全く聞き取れていない自分にがっかりし、

もういったいどうして~

どうにか搭乗案内が開始され
ゲートと違う所へ案内される、

スッゴく不安だった。
羽田空港からJAL便に乗って、
不安のまま経由地アンカレッジを経由して
シャルルドゴール空港へ

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(注アンカレッジ)
1970年代から80年代頃は、日本から欧米への空路
アンカレッジ国際空港経由でした。

日本航空会社が運航する国際線定期便はJALのみで、
80年代から海外旅行が少しずつ身近なものに

なって来た頃ころの話。

アンカレッジにストップし、給油等を行う中、
機内で数時間待たされます。モニターもなく

ただただ待ちの時間が流れています。
大変疲れて大変な時代です。
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この頃は、直行便もなくアンカレッジ経由で
長い時間の飛行機旅。

機内映画も中央のスクリーンに上映される
映画を見るだけ。上映は二回以下です。

時間を潰すには、寝る以外は、読書くらい
(パリの経由地で困らないように

フランス語の復習)眠気と闘いながら
気持ちだけは一生懸命。

頭には何も入いらない。
長い旅が始まりました。