アセンションで始まる世界 -18ページ目

ある兵士の心の記録6

 
前方回転受け身そして後方回転受け身を銃を持ちながら行い、受け身をとった後、すぐに銃を構える。


6人が横並びになり同時に受け身をとりながら進み、ある程度進んだら次に並んでいる列が受け身を始める、そんな列が4つあった。


一通り準備運動をこなし、次に二人一組で決められた攻撃をする方とその攻撃に対処する方とになり何度か同じ約束動作を練習して交代する。


今やっているのは相手に先に攻撃を仕掛けられそれを対処する練習だ。


共通しているのはまず相手の攻撃をさばき自分への危害を排除するか最小限にする、次に相手の急所へ攻撃するか相手の関節をきめにいく、最後に相手の急所にさらにとどめとなる攻撃をするか奪い取った銃で撃ったり、ナイフで刺突する動作までをなるべく円滑に動けるように練習する。


もちろん練習なので、とどめとなる攻撃は実際に当てず頭の横を全体重で踏みつけたり、銃も弾は入れてないので撃つ模擬動作、ナイフもゴムで出来ている。


何度か同じ相手と行ったら相手を変えて同じ練習をする。


自分より大きな者や小さな者、関節が柔軟でなかなかきまらない者、様々な相対的な条件下を体験していく。

今日は互角稽古(お互いにとどめを取り合う試合の様な練習)までは行わなかった。


普段から体を鍛え体力に自信のある者も関節をきめられるとなすすべはなくなる、ただし“練習”という前提があるからだ。

実戦で“負けたら死ぬ”あるいは“捕まったら地獄の苦しみを受けてなぶり殺される”となれば腕一本折られても、あるいは自分から腕や足を切り捨ててでも反撃してくることもあるだろう。


男は約束動作で関節をとられる方となり相手のリードにまかせ模擬のとどめをさされながら準備運動でのストレッチの重要性を観じていた。

今は相手の練習の為に動いているが実際関節はきまっていない、というより男は元々柔軟性がありストレッチしたあとは肩や手首は相当な可動域となるのでいつものことであった。


基本的にこれらの訓練は相手を“殺す”ことに使われることが前提だろうが、近年ではそれだけではない。


目標となる人物を捕獲や逮捕、あるいは最小限の危害しか与えてはいけない任務等々・・・


“相手を制する”という言葉がこの訓練ではよく出てくる、“殺す”こともできるがそれだけではない。


“心のストレッチ”も重要かもしれない・・・

(続く)

究極の宗教

 
様々な宗教がありますが



命の大切さや他を愛することなどを教義としながらも



異教徒や異端者という存在の命を奪う宗教・・


悪魔に憑かれた人だとしても、それは“人”です殺していい理由にするのは都合のいい短絡的な判断



あらゆる救いの手を尽くしそれでも赦す神様の寛容さのない人間がつくった宗教・・・



同じ宗教の者のみ幸せになろうとする狭い心を正当化する宗教


教会を大きくし宗徒を増やし“肥大”することに躍起になる宗徒・・



そんなことをしているうちに“命の大切さ”は自分達だけに適用して敵対する存在には容赦なく命を奪おうとする



いや宗教を肥大させるために殉教を尊び自己の“命”をも犠牲にさせる



各人が直接、神様に繋がろうともせずに・・・



一人一人が直接に神様と繋がろうとしていくことこそ大切なのに・・・



他を区別して愛する必要などないのに・・・


神様はみんなを愛しているのに・・・



おとなしい“子”もおっちょこちょいな“子”もグレてる“子”も育児放棄などしない完璧な親の愛を与えてくれているのに・・・



我々は学ぶ為にまだ兄弟喧嘩が必要なんですね・・・



少しでも早く神様と私の繋がりを深め、兄弟喧嘩を卒業していきます




すべてに感謝します。



ありがとうございます。




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共に創造する

 
神様は既に我々を含めた基盤となるものは創造しました



これからは我々と神様で共に創造する世界へ



少しの間“神様”のことを忘れて我々だけで好き勝手にいじくりまわしてしまいました



やはり未成熟な我々は“大人”の指導のもと一緒に世界を創造していき



大きな喜びを皆や神様と分かち合える



そんな素晴らしい存在に創ってくれてありがとうございます



すべてに感謝します。



ありがとうございます。




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