世界的に有名なプロダクトデザインを数多く担当してきた方に先日取材した際、本当に優れたメッセージはシンプルに回帰すると聞いた。真実、人類の叡智が根底にあってそこから浮き上がってきた貴重な上澄みは、何ものにもかえがたいほどに研ぎ澄まされてシンプルで、純粋で、膨大なメッセージを伝える力強さを持つ。人智を超えたメッセージの上に成り立つシンプルな表現に向き合ったとき、その背景にある部分をどこまで知ることができるかどうかが、人間の奥深さのような気がする。
人類の叡智が眠る鉱脈を深く掘り下げる努力をせず、地下2、3メートルあたりでのほほんと生きている人にとっては、その言葉は実にありきたりなものにしか聞こえず、通り過ぎてしまうかもしれない。書籍の編集でお世話になっている著者から、人に何かを伝えても人によって気づきのレベルが違うと伺った。つまり地下2メートルまでしか掘り下げていない人は、地下2メートルまでしか知恵の吸収ができず、それより深い意味を知ることはできない。
編集者として誰かに意見を聞きたいときに、ついうっかり地下浅く住んでいる人に意見を聞いてしまうと、とても浅いアドバイスしか聞くことができず、それを真に受けて編集作業に取り込んでしまうと失敗してしまう。一方、自分とはかけ離れたほど経験も知識も豊富な方の意見の場合は、自分の頭で考え、うまく租借して、あるいはうまく収斂させて成果物に反映していかないといけない。すばらしい著者と向き合うとき、編集者は本当に自分の力の及ばなさに常に悩み、でも、だからといってレベルの低い仕事なんてすることはできないので、逃げずにきちんと対峙して、自己のレベルアップと同時並行で仕事することになる。
最近思う。書籍の編集は心を込める作業であると。西村佳哲さんの著書「自分の仕事をつくる」には、「こんなものでいいと思ってつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する」とあって、深く感じ入った。「丁寧に時間と心がかけられた商品を手にするとき、私たちはうれしい顔をする」とも。本当にそうだと思う。本当に人の手がかけられた商品というのは、手に取るとすぐにわかる。そして心が少し豊かになる。
手をかけるためには相応の時間がやっぱり必要で、効率重視でテキパキやるだけではどうしても心の部分が欠如して「こんなものでいい」商品になってしまう。あれはどうしようと1日悩み、寝て起きては、やっぱりあれはこうしようと1日悩んで、寝て起きて。そんな思考を何日も何日も繰り返すプロセスが、本当に人の心を打つものをつくるためには必要で、結果としてそういうことができるごく少数の人だけが、手に取る人を感動させるものを生み出すことができるのだと思う。そんな試行錯誤の連続でたどり着いた答えは、案外、シンプルだったりして、やっぱり結局はそこにたどり着くのかもしれない。
う~む。悩むなあ。