ストーリーのある生き方。
お前の人生に、物語はあるか。
昔の手帳をたまに引っ張り出して読むのが好きで、昨日、久しぶりに古い手帳を開いて楽しんでいるとこんな言葉が殴り書きしてあった。
お前の人生に、物語はあるか――。
これはたぶん、自分自身に向かって書いた言葉だと思うけれど、改めて読んでふと立ち止まって考えてしまった。俺の人生に、物語はあるだろうか――。これまでの人生を小説に書けといわれると、果たして小説として成り立つだろうか。別に小説になる人生を生きる必要なんてまったくないのに、手帳にそんな言葉が書いてあったものだから、考えざるを得なくなってしまった。
昔から僕は偶然の一致、いわゆるシンクロニシティを数多く経験してきているので、そういう必然的な邂逅にあまり遭遇したことがない人にとって僕のそんな経験談は新鮮で、不思議で、どこか物語的な感動を与えることができるみたいだけど、冒頭の言葉を書いた当時の僕は、もっとこう、ミーハー的なノリで、ストーリーのある生き方を楽しみたかったのだと思う。陸上競技に精を出して結果を残そうとがんばるのも、何年も前から自分自身に物語を求めてきた心のわだかまりが、フリーランスになったことで時間ができ、一気に爆発してしまった結果なのかもしれない。ということは、いまがんばっている陸上競技は、ミーハー的なノリの続きなんだろうか。そのへん考えると複雑な気持ちになってくる。
ものを書く仕事をしている自分にとって、それはアートではないにしても、ライティング=表現という広い意味で考えると、経験や知識を土台としたクリエイティブな分野の大地を、もっと耕して肥沃なものにしていく大切さは常に考えているつもりでいる。生き方以上の歌はうたえない、とは誰が言ったか忘れたけれど、生き方以上の文章は書けないなと、コピーライターをしていた昔からずっと思ってきている。そう、自分自身以上の文章は書けないのだ! だからこそもっといろんな経験をして、もっといろんな知識をつけて……とこれまでずいぶんといろんな国を旅したりもしてきた。冒頭の言葉には、文章が下手くそで悩んでいたとき(いまもそうだけど)、もっと自分自身、魅力的な生き方をして、そこからにじみ出る人間としての妙味をライティングに活かしたいという思いがどこかに滲んでいるような気もする。そうやって考えていくと、陸上競技をがんばるなんていう、きわめてへんなことも、ぜんぶ仕事に活かしたいという無意識の誘導がひそかに影響しているのかもしれない。
ああ、何を書いているのかわからなくなってしまった。というか最初からわからない。このブログには練習のことばかり書いているので、たまにはいいか。これからは、もう少し仕事のことについても書いていきたい。