そんなふうに
太陽の誘いにのって散歩をしていたら、

歩きながら、なんとなく、
こないだの「できないんです」の記事のことを
考えていました。

それで、
これまたなんとなく

「言ってみたら、いいんじゃないの?」

と思いました。

「そうだな、今日帰ったらすぐに電話してみよう」


って、

えぇぇぇぇ!?


いやいやいや、うさこはん、
今さら何言いますのん?

あの懇親会からもうだいぶたってますし、

「参加するって言ったか、しないって言ったか
自分でもわからなかったんです」

って、そんなアホな話、
「はぁっ?」ってなりますって。


もう一人の自分が普通につっこみ入れてくるけど、


「これは私のこれからに関わる問題かも。
言わないと前へ進めない気がする」


と、なんとなく、ホントになんとなく
急にそんなふうに思いまして……。


散歩から帰ってすぐ、
その時の幹事さんにお電話させていただきました。


「あの時、こっちかこっち?って聞いてくださったんですけど、
私、目の病気ですっごい視野が狭くって、
それがぜんぜん見えてなくて、
見えないのになんとなく返事してしまって、
結局、参加していいものかどうか
わからなくなってしまったんです。

もしご迷惑おかけしていたら、ごめんなさい」

って正直にお伝えしました。

幹事さん、
どう思ったかわからないですけど、
笑ってましたーー。はずかし。


***

こないだの「できないんです 2」の記事で
書いたこと、一部訂正します。


===

だって、すごいデキル人のふりして
見栄はってるワケじゃないじゃん。

ただ、普通でいたいだけじゃん。

===

って書いてしまったけど、

それからたくさんコメントいただいて、
「普通」って何なんだろ?と思いました。


もしも、
ハンデを持っている私が
すべての面において
ハンデを持っていない人と
まったく同じように行動できたとしたら、

それは「はんぱなくすっごいデキル人」
と言えるんじゃないだろうか。

だとすれば、
私はやっぱり

「すごいデキル人のふりをして
見栄をはっていた」


ことになるんじゃないだろうか。


その人もあの人もあなただって、
もしかしたらこれからハンデを持つかもしれない。

その時に、
“ハンデを持たない人の普通”しか
その人のまわりになかったら、
その人もまた苦しい思いをしながら
見栄をはってしまうかもしれない。


だから私は、

「ハンデがあるように生きよう」

と思います。


これからもまた、つい見栄をはってしまう
ことがあるかもしれませんが、

すごい人になるのは、もう諦めます。


だって私は、

ハンデを持っていて
いろんなことで人に手助けをしてもらいたい
普通の人間だから。



今度こそ、おわりうさぎ

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