コロナ騒ぎも含め、激動の世界情勢の中で忘れてはならないのが“日本滅亡”です。
812、117、311 等々 やられっぱなしが続いていますが、日本人は耐えています。
反日教育を受けている国の方々なら黙っていないでしょう。
ひと声上げれば費用をかけずに次の企みに対する抑止力になると思うのでが・・・
その昔、白村江・壬申の乱を経て、中国(唐)、朝鮮(新羅)、大和勢力の三者は九州王朝倭国を歴史から消し去りました。
その時点で 後の二者は高松塚古墳壁画に見られる文化文明に徹すればよかったのですが、倭国文明にコンプレックスを持つ(?)彼らは国家丸ごとの脊乗りを企て、今日に至るまで日本人に成り済ましてきたのです。
韓流ブームを仕掛けたりもしたのですが、さすがに疲れたのでしょう、反日教育の効果もあるでしょう、最近の対日態度は随分乱暴なもの(現政権の振る舞い)になっています。
テレビで名を売り政界に進出した あの人のカミング・アウトは日本に対する宣戦布告だったと思います。
今後は現在の日本を否定し、大宰府が首都だった日本(倭)国の存在を永久に浮上させない固い決意を持って様々に仕掛けてくるに違いありません。
日本人は学校の歴史で“奈良の次は京都”と それ以上何も考えません。
壬申の乱以降、倭国の存在を消すプロジェクトの一環として首都大宰府に相当する都を近畿地方に作る必要がありました。
『平安京はいらなかった』https://allreviews.jp/review/5923を読むと遷都に伴うドタバタ振りが随所に出てきます。
これらは、米田史学を学んだ者には裏事情が手に取るように分かります。
次はPRESIDENT Onlineの記事ですが
「優雅な上流階級」のイメージはウソだらけ…学校では教えてくれない平安貴族のヤバすぎる「裏の顔」 なぜ清少納言の兄は悲惨な死に方をしたのか
この記事(https://president.jp/articles/-/75691)にあるように、京の都は学校で習う煌びやかな王朝文化に満ち溢れていたわけではなく、国家ぐるみのアリバイ作り(倭国時代の大宰府を京都に再現、その他 諸々)に明け暮れた、陰湿でストレスフルな社会だったのです。
平安時代より遡ること350年、清少納言、紫式部 その他の“紫のサロン”オール・スターズの面々も倭国大宰府周辺で平和裏に暮らしていたのであり、現在の子供たちの歴史・古文教科書に描かれているのは“平安”とは名ばかりで、ムードの悪さを隠した時代におけるコスプレ・パーティーのようなものが実相だったと思います。
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