「無知は力なり」と言うけれど “法隆寺移築説” が日本を救う | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 
 

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「無知」とは真実を知らないこと。

 

 

無知(噓)を信じていれば それが現実となる。

 

 

無知はさらに力を持つ。

 

 

何故なら 多数派だから。

 

 

ゆえに「無知は力なり」とこの動画は語っているのでしょう。

 

 

世界全体では単純に「無知」VS「有知」と思いがちですが、これが大きな落とし穴なんです。

 

 

大多数の「無知」は始めから“蚊帳の外”なんですが、問題は「有知」の中に正義を貫く者がどれほどいるのか なのです。

 

 

銀のスプーンを銜えて生まれてきた者達に対抗するためには勉強が必要なのです。

 

 

小学生の「どうして勉強しなければダメなのですか?」という問いに対する答えはこれしかないのです。

 

 

 

久々に佐賀県の女性が米田建築史学4冊セットを買って下さいました。

 

 

発送する前にパラパラとページを振り返ってみましたが、少し前の自分が随分エネルギッシュだったなぁ と感じるとともに、内容は今も全然色あせていない と自信を深めました。

 

 

今は少数派でも真実のオーラは勉強している者には解ると思います。

 

 

 

第1巻の あとがき に以下のように書きました

 

 

20年程前、名古屋の鶴舞にある古書店で手にした『法隆寺は移築された』という不思議な(当時はそう思えた)タイトルの本が「米田建築史学」との出会いであった。

 

 

私自身は自宅や仕事場の設計を手掛けるほどの建築マニアであったが、いざ 読み始めてみると 知らない建築用語に満ちており、ギブ・アップしそうになった。

 

 

そこを我慢して、ひと通り書いてあることは直感的に真実である、と思えた。

 

 

著者・米田良三氏は建築家としての閃きを武器にして「移築説」に到達し、繰り出す仮説にはロマンがあり、謎解きの楽しさもあり、さすが 理系の歴史家だと感心させられた。

 

 

さっそく 高校の同窓会の席で、東大出身の仲間に「法隆寺移築説」を披露したところ、「バカヤロー ! そんなことあるかーっ、教科書に書いてないがや!」とB層 宛らに名古屋弁でまくし立てられ、こちらの闘争心に火が点いた。

 

 

 

旭丘→東大 と 旭丘→名大 が 松坂→東工大 のネタをめぐって激突したことが“法隆寺移築説”のその後の隆盛の発端であった(と、言ってみたい)

 

 

「移築説」の中身については言うに及ばず、従来の説が いかに巧みにガードされてきた(フルベッキ写真の中の一人が古代史の神様ともいうべき教授のおじいさん)かを知ることが、日本を救うことに繋がります。