日本史の授業で「白村江の戦い」(倭国・百済 vs 日本国・大唐帝国・新羅)はもっと詳しく学ぶべきだが、指導要領はどうなっているのだろう。
倭国の運命を決定付けた「壬申の乱」につながる重要なイベントであるにも拘らず、帰化人たちの「大化の改新」より扱いが小さい。
そして「大化の改新」が我が国の本格的なスタートであると思い込まされた段階で、本来の日本を装ったこの国は終わっている、と言うか、そもそも始まっていなかったのだ。
つまり、初めから倭国を主体とする日本ではなかったのだ。
それでも“国風文化が花開いた平安時代”などと習うのだが、http://nakamura-syounika.cocolog-nifty.com/blog/2022/03/post-8e619f.htmlそれらが九州王朝時代の文化・文明をごっそり近畿地方にパクって来た結果だとは誰も理解できない。
「法隆寺移築説」がその突破口である、と言ったら さらに混乱するだろう。
確かに、気付かれないまま九州王朝倭国を歴史上消すことには一応成功したのだが、盗品(法隆寺、薬師寺、東大寺等)からアシがつき、フェイク国家の仕組みがバレてしまったのである。
とにかく、米田良三氏の業績はとてつもなく大きいのだ。
「白村江」では倭国の属州の売国奴たち(大和朝廷の前身)が唐・新羅とグルになり倭国を消滅(歴史上無かったことに)させ、成りすましに成功したものの、その後1300年以上にわたるイミテーション生活の疲れは限界に達し、その鬱憤を晴らすために現代日本における韓流ブームは仕掛けられたのではないか。
その流れを注意深く観察する必要がある。
中国は1359年後の今、唐時代の戦後統治の失敗を反省し、今度は本気で倭国を消滅させるつもりのように見える。
消すだけでなく、今度は漢民族が日本列島(蓬萊島)の主役になろうとしているのではないか。
“あわよくば”の半島人は今回、主役は無理だろう。
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