高校の日本史の教科書での「白村江」の扱いは実に淡白で、入試問題も出題は表層的です。
その理由が今まで ずーっと理解できなかったのですが、米田良三氏の『東アジアの悲劇』の序文(「米田建築史学シリーズ」全4冊 Web de “立ち読み” (その16) 「米田建築史学シリーズ」全4冊 Web de “立ち読み” (その17))を読んで霧が晴れたように理解できました。
皆さんも挑戦してみてください。
「白村江」後の日本列島には、歴史から その存在を消された倭国九州王朝の真の日本国民と、消した側で新たに権力を得た半島由来人達が日本人に成りすまして同居していたのですが(現在も)、この状態が1300年以上続き、後者は近年苛立っているようにみえます。
倭国(日本)を歴史上抹殺した挙句“成りすまし”を今後も続けなければならないのなら、いっそ本来の日本を(真の歴史がバレる前に)丸ごと潰してしまった方が ぶりっ子しなくて済むし、半島人のプライドも守れる、というのが本音でしょう。
以上を理解すると、メディア、教育、経済、政治、等々 ぜーんぶ総て例外なく良き日本をぶっ壊す方向に走っていることに気付きます。
15年前の紅白歌合戦での裸の乱舞(年忘れ→国忘れ(忘国)→亡国 紅白歌合戦)もそれらの仕掛けの中の一つに違いありません。
このような発想は「米田史学」を学んで初めて思いつくものです。