上高地温泉ホテル の 歳月 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

昭和29年、小3の夏休み、乗鞍・上高地 2泊3日の旅をした。

 

平湯で泊まった「岩田館」という宿が生まれて初めての宿泊体験であった。

 

印象は強く、大人になったら旅館を経営しようと思った。

 

何でも初めての経験を自分の未来に置き換える傾向があり、歯医者に行けば歯医者、

 

本屋に行けば本屋になろうと決意した頃の話なでので、決意といってもその程度である。

 

2日目は「上高地温泉ホテル」の離れのようなところに泊まった。

 

母が用意した森永フィンガーチョコ、チョイスビスケット、現在のものより乳臭い雪印チーズを良く覚えている。

 

帰りの中央線の車内販売のアイスクリームの味も。

 

日常ではサツマイモがおやつだった頃のことである。

 

当時は自分が大人になってからに比べ人出も少なく旅行客は皆、ハイソで品のある人に見えた。

(『名古屋教育ママ物語』より)

『名古屋教育ママ物語』を紹介します。

 

 

この文を書くに当たり1954年8月の受付日を知るとか、記入した父の筆跡が見られるかを確認しようと「上高地温泉ホテル」に問い合わせたのですが、

 

 

宿帳は既に無く、当時を知る職員(OB)も一人か二人という位 いにしえのお話、と思い知らされました。

 

          

 

 

この写真は生まれて始めてシャッターを押した記念すべき一枚で、二人の兄の後方にホテルの建物が写っています

 

 

この時のイメージを脳裏に残したまま20年後の1974年(新婚時代)10月、現地・梓川河畔に立ちました。

 

          


 

赤い屋根の建物群が川に面して軒を連ね、情景はすっかり生まれ変わっていました。

 

 

その後の「上高地温泉ホテル」のイメージはズーっとこのままでした 『名古屋教育ママ物語』を書くまでは・・・ 。

 

 

1954年から1974年の今昔感に納得していた自分ですが、再訪してから更に現在まで何と47年も経過しているのです。


 

先の今昔間の2倍以上です。

 

 

そんな訳で、改めて現在の「上高地温泉ホテル」のホームページ

 

          

http://www.kamikouchi-onsen-spa.com/index.htmlを見ると浦島太郎もビックリするほどの変わり様です。

      


  大昔に一泊しただけのお客ですが、何か気になるホテルです。

 

 

それは、門外漢でありながら、今まで4棟の建築設計を手掛けたり、「法隆寺移築説」https://www.youtube.com/watch?v=_5ZdCTgahOw&t=57sに強く反応するなど、建築への興味が人並み以上であることと無関係ではなさそうです。

 

 

世界的な観光地で伝統あるホテルの継続、管理、発展に尽力されている方々にエールを送りたいと思います。