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自分自身の遠いルーツは父方の祖父が何となく漢民族っぽい感じがするので勝手に河南省辺り?と雑談のネタにしている。
九州王朝の由来は紀元前のずいぶん昔、大陸から東シナ海ルートで、とイメージしているが、王家の系図にはスーパースターが揃っている。
ただ、乗っ取り・大和朝廷が嘘まみれの『日本書紀』をでっち上げたので、スーパースターは並の歴史上の人物にすり替わり、活躍した時代もズレて面白くない日本史になり果てている。
米田良三氏の『逆賊磐井は国父倭薈だ』にはこの国の始まりが実に分かりやすくまとめられているので、3回に分けて紹介する。
終わりの部分で現代の我々自身が国民としてどのカテゴリーに属するのか考える場がある。そして現在の我が国の体たらくの理由もハッキリする。
『日本書紀』の天照大神(あまてらすおおみかみ)、仁徳天皇、聖徳太子は架空の人物であり、実在の倭国の卑弥呼(ひみこ)、倭讃(いさん)、多利思北弧(たりしほこ)をモデルとしている。
中国正史が詳しく記すことのない卑弥呼のカリスマ性のみを大きく取り上げたのが天照大神であり、『列島合体から倭国を論ず』(新泉社)で述べた日本列島統一を成し遂げた倭讃の善政のディテールを取り上げたのが仁徳天皇であり、『建築から古代を解く』(新泉社)で述べた仏教王国の王であった多利思北弧の本質部分を稀薄にしたのが聖徳太子である。
これら実在の人物の全体像の一部を切り取って大和朝廷の歴史に組み込み、不要のものは消している。
全体像を知る手掛かりはほぼ抹消されていると言える。
中でも大和朝廷が本気で徹底して消したものは国父倭薈(いわい)の存在である。
『日本書紀』には逆臣磐井(いわい)と記すのみである。
現在磐井とはどのような人物かを質問すれば、良く知っている人で磐井の乱を起こした逆臣と答えるのが限界であろう。
国父とはインドのガンジーであり、アメリカのリンカーンであり、現代中国の毛沢東である。
その国での生き方・価値観を示した存在で、国民から父と慕われる。
これに対して現代日本人は日本に国父がいたという表現すら初めて耳にする。
それが何者かも、何という名前かも知る由もない。
確かに奈良時代以前、500年代の人物を取り上げて、その人物が国父であると言っても信じ難いだろう。
またその国父が現代日本人と結びつく存在であると理解するのは困難であろう。
だがしかし、倭薈を知れば、我々日本人の精神の深層を形成する人物であると理解するのは難しくない。(続く)
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