引用
現に日本の歴史においても少なくとも3度侵略支配の危機があった。
一つは白村江の戦い後、唐による日本侵攻が現実化したとき。
二つ目は二度にわたる元寇。三度目は大航海の時代に西洋諸国のアジア侵略である
①白村江
大宰府付近に二つの築城、西日本に30以上の山城。それに加えて、防人(さきもり)が動員された。
動員されたのは、当時の人口600~700万人に対して兵力20万人である。
現代の日本だと、おおむね人口一億数千万人に対して、自衛隊員は約15万人。
なので、この時代の圧倒的な兵力数がわかる。
しかも動員の中心となったのが、当時の東国であり、その理由は西国に対して東国人は屈強で戦闘力があったためと言われる。
結局、唐が白村江の戦いの報復として日本に攻め込んでくることはなかったため、当時の日本軍の強さを直接図ることはできない。
しかし、この時期の日本は、意外なことにかなり強大な軍事力を持っていた国と言えるだろう。
今まで楽しく読んでいたブログですが、赤字の部分でガッカリ。
東国の軍人とは(九州王朝から見て)売国奴(後の大和朝廷)で構成されているので、“屈強な戦闘力”云々より前に唐軍と戦うわけがない。
米田史学によれば664年4月~672年5月、日本本土は唐軍により占領されていた、とある。
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