10数年前、米田良三氏の『法隆寺は移築された』を一通り読んだ後、太宰府観世音寺を訪れました。
敷地内の礎石群の中に在るはずの心礎がなかなか見つからず、ウロウロしていたところ、地元の男性が近寄ってきて解説してくれました。
後で考えれば笑い話なのですが、我々の抱いていた心礎のイメージは通常の礎石並みの平べったいものでしたので、よもや心礎が自分たちの背後にある馬鹿でかい石とは思いもよりませんでした。
その地元の男性とはボランティアガイドをやっているTさんのことで、後年、米田氏と再び訪れた時にもお世話になり、心礎の表示を設置するに至った経緯を教えてくれました。
なんと以前、我々の無様な姿を見たのが設置の発端だそうです。
いつか心礎の表示を目にされたらTさんとドジなトラベラーのことを思い出して下さい。
■心礎の位置 五重塔は法隆寺に
■此処にあった三十三間堂は京都へ
■現在の法隆寺東大門
『源氏物語』の「紅葉賀」の会場はここ。
観世音寺は内裏とセットで都の中枢なのです。
大和朝廷は、移築を終えた(倭国)観世音寺の跡地に一回り規模の小さい伽藍を再構築し、同じ名称を名乗ったため、混乱している研究者がいます。
三十三間堂の時差移築が混乱に拍車をかけています。