「米田建築史学シリーズ」第1冊目、ご購入の気持になられましたか?
“立ち読み”はまだまだ続きます。シリーズ第2作では長谷寺の総てを明らかにします。
本書の内容は世界中の何処を探しても絶対に見つかりません。
著者の「米田建築史学シリーズ」前半4冊のうちの最後『逆賊磐井は国父倭薈だ』では長谷寺については僅か18ページを割いているのみですので、その後の研究成果がいかに大きいかが分かります。
はじめに
ぺ・ヨンジュン演じるテレビドラマ『太王四神記』を御存じであろうか。
広開土王碑に記された業績で知られる高句麗国王の物語だ。
呪術など幻想的な場面が全体を支配するが、騎馬軍団や舟を使ったその移動、人々の日常生活や食事の様子などに、当時の生活の現実を見る思いがする。
高句麗の都・丸都の国内城は城壁都市として完備しており、広開土王の行動は記録を踏まえてリアルに描かれている。
広開土王の在位は西暦391年から412年であり、物語から400年前後の朝鮮半島北・中部の状況を知ることが出来る。
映像にはないが、最後に碑文にあるように倭軍と戦ったことが語られる。
『太王四神記』は隣国韓国が朝鮮半島の400年前後を表現した見事な作品と言える。
一方、日本はと言うと、網野善彦氏が『日本社会の歴史』(岩波新書)の「四~五世紀の列島社会」で、次のように述べられている。
当時の一般の人民の生活は、竪穴式住居に住み、素朴な貫頭衣を まとう状況にあった。
竪穴式住居には朝鮮半島の影響でカマドが造られるようになっているが、その祭祀をふくめて、生活全体はなお色濃く呪術的な色彩をもっていた。
ドラマとは異なる教科書的表現ではあるが、果たしてこの当代を代表する歴史家の歴史認識 は正しいのであろうか。
カマドの影響は措おくとして、日本は隣国から孤立して存在し得たのだろうか。
当時の日本はこのように未開の社会であったのか。
海外派兵するような軍を持つ日本とはとても思えないのである。
『太王四神記』の表現が大きく間違っているとは思えず、現在の日本の歴史学の認識が真実から程遠い場所に止まっているに相違あるまい。
中国との関係を見ても、239年には帯方郡に卑弥呼の使いが送られており、400年前後に朝鮮半島で倭軍が行動しても不思議ではない。
定説となっている既成の歴史認識を見直すことが必要な様である。
次回(前書きの続き)をお楽しみに!