最終日の太宰府巡りを終え、帰りの新幹線内で米田氏は自分がガンである旨 私に告げた。
その瞬間から 私の中では『地震と建築と』の作り直しと、米田氏の健康寿命の維持が最大のテーマとなった。
米田氏自身にとっては ① 自身のアイディアによる免震装置の普及と会社の発展 ② 建築史学をベースにした倭国の真相の解明 ③ 病との闘い の三つが残りの人生の重要な目標になったと思う。
そこで、二人の目標は まず一冊を完成させること、即ち、本書の初版に当たる『続 法隆寺は移築された』のことである。
最悪一冊で終わるかと思われたのだが、ハードな 〝ゆだきん医療〟 を避け、ひと工夫した闘病をしながら、その後 二人がかりで長谷寺、宇治平等院、柿本人麿の各々をメイン・テーマとした『長谷寺考』、『東アジアの悲劇』、『柿本人麿の真実』計四作を作り上げた。
氏の闘病・治療方針について言いたいことはいっぱいあるが、今となっては質問をぶつける相手が居なくなってしまったことが一番つらい。
以上が『法隆寺は移築された』との出合いから『続 法隆寺は移築された』発刊に至るまでのショート・ストーリーである。
この改訂版を読んで 「米田建築史学」に首尾よく入門できた方々には、その後の三冊に進まれることを是非お勧めする。
各テーマの新知見が三冊それぞれに盛り込まれており、新泉社版の文中で米田氏が語っていた展望が 大方 成就されていることに驚かれることと思う。
著者は有言実行の人であった。
次回をお楽しみに!