その頃、私は前記第四書にある長谷寺の倭国時代の所在地について 是非突き止めたい、という気持ちが抑えられず、電話で議論する日々が続いた。
やがて、米田氏から、移築前の所在地の見当が付いた、と連絡が入り 現地で確かめようということになり、2008年11月、博多駅で落ち合い、佐賀県三瀬村に向かった。
その時のいきさつも含め、倭国長谷寺に関する詳細は 〝311テロ〟 後に完成したAB&JC PRESS版第二書『現代を解く・長谷寺考』を読んで頂ければ総てが理解できる、と自信を持って言える。
その日の晩は 二日市のホテルで一杯飲りながら 古代史談義となり、米田氏の引き出しの多さ・深さに圧倒された。二人とも松阪生まれということもあり、賀茂真淵と本居宣長の「松阪の一夜」を勝手に連想していた。
「りょうぞう&しょうぞう の 二日市の一夜」と将来語り継がれるほど「長谷寺移築説」が認められる日が来る事を待ち望んでいる。
次回(あとがきの続き)をお楽しみに!