理系の歴史が始まった | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

10年前、米田良三氏の原稿を始めて本にする際、サブタイトルを“理系の歴史”にしよう、と二人で盛り上がったことがあります。

 

 

結果的に先を越されてしまいました。

 

 

いよいよ理系の歴史の時代の到来です。

 

 

某工業大学の名誉教授である友人に『建築史学入門』を1年がかりで読んで貰ったところ、以下のメール(抜粋)を貰いました。


           
 

・・・・・「続 法隆寺は移築された」すべて目を通させていただきました。

 

 

二つの印象を持ちました。

 

 

一つは中国の文化が朝鮮半島を経て奈良・京都に伝達する過程で北九州に京があったことは極めて自然であるということです。

 

 

もう一つの印象は、米田氏の歴史、古典、地理等に関する知識が並大抵ではないことです。

 

 

数多くの科学的データを駆使しての解説は理系の人には理解しやすいのではと思いました。

 

 

とは言え主流と言われる歴史家も砂の真砂のごとくおり、古代史の資料量も膨大であるので決着がつくのは時間がかかるかと思いますが、結局のところ信頼できるデータの多さが決め手になるのではと思いました。

 

 

少数意見が多数意見となるよう応援します。・・・・・

 

・・・・・“米田建築史シリーズ”4冊セットが年明けに完成されるとのこと まことに喜ばしく思います。

 

 

私は専門分野では何人かの博士学位論文審査に関わりました。

 
 文系分野の事情はわかりませんが“米田建築史シリーズ”は単に米田建築史学の解説にとどまらず倭国長谷寺の所在地の同定の成果等、オリジナルな成果も含まれているので文学博士に値する業績ではないかと思います。・・・・・

 

米田氏亡き後、パウロのように米田建築史学を伝道してください。・・・・・

 

 

 

パウロのようになれ、と言われても困りますが・・・

 

例えば国文とか日本史専攻の大学院生で、論文のネタに困っているとした場合、4冊シリーズの中にはヒントがゴロゴロ眠っているように思うのです。

 

ただし、教授が「ウン!」と言うかどうか保証の限りではありません。