米田建築史学シリーズ  手作り私家版の背景 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

  その1 小学生の頃、我が家の庭に近所の大工の棟梁が作業場を設け仕事をしていました。

 

  学校から帰った私は、人間国宝的な腕前を毎日のように見学しているうちに、日本建築のあらましを理解しました。

 

  大工仕事の技術面に興味を持ち、やがて設計の方に興味が移って行きました。

 

  結果的に自分の設計で4戸が実現しました。

 

  その2 昭和30年代は作文教育が盛んで、ガリ版刷りの学級文集を生徒自身の編集で作っていました。

 

  当時の編集の楽しさは今もハッキリ覚えています。

 

  その3 古くは、中央公論社、岩波書店などの歴史全集がもてはやされた時代がありましたが、ノン・アカデミックな著者の本が80年代には人気でした。

 

  それらは正史の嘘っぽさを暴くのが常で、それらが古書店に出回りだした頃、私は『法隆寺は移築された』に出会たのです。

 

  その4 米田良三氏は新泉社から4冊出版したものの、(社長交代他、何か理由があって?)持ち込んだ5冊目の原稿は断られました。

 

 

  建築に関する興味、編集能力、野史的嗅覚、社会情勢が微妙に絡まり建築史学シリーズ(完全・愛蔵・永久保存版)4冊は完成に近づきつつあります。

 

  振り返ってみると、

The lifework is like this!”です。

 

  米田良三氏と現地に赴き「倭国長谷寺跡発見」をアシスト出来たのは私の誇りです。