両口屋
名古屋市民なら知らない人はいない和菓子の老舗です。
祖母の「選りすぐりの小豆を使っている・・・ 」の会話をよく聞かされました。
今も名古屋城の南、いわゆる“碁盤割り”に本店が在ります。
徳川園
尾張徳川家の“離れ”的なエリアで昭和10年には博物館が建てられました。
私の子供の頃(終戦後)は庭の手入れもされておらず、近所のガキ達のチャンバラごっこのメッカでした。
大須観音を中心に江戸時代から賑わっていましたが、戦後低迷したこともありました。
商店街店主たちの努力で、現在は若者たちを中心に多くの人々が集まります。
熱田神宮
“草薙の剣”であまりにも有名なお宮です。
織田信長の軍は大須万松寺を経由し、この宮に達し、軍勢をここで整え桶狭間へと向かったのでした。
いとう呉服店
いわゆる“清洲越え”をした名古屋開府以来の呉服店で“碁盤割り”の中に店はありました。
祖母はその近所に育ち、歌手の八神純子の先祖さんとはお友達でした。
その後、店は栄交差点西南に引越し、さらに発展して松坂屋百貨店となります。
「栄」という呼び名は昭和40年代初めからですので、この場面では「栄町」が正しいと思います。