英語はセンス&モチベーション | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

英語の問題で世間が騒がしいようです。

 

コミ二ケーションの道具としての英語の重要性は理解できますが、国を挙げて必死になればなるほど、日本復活のチャンスが遠のくような気がしてなりません。

 

思いつくままに書いてみます。

 

まずは母国語をベースにした“ちゃんとした人間”になることが先決。

 

森羅万象を母音ベースで組み立てる日本語だからこそ、気持ちよく自然と一体になれる(名著:『日本人の脳』)。 

 

中学生以下レベルのスピーチのShibukoと、聞き流すだけの英語教材の広告塔をやっているRyoのどちらを評価しますか(今後、Shibukoは英語がめっちゃ旨くなる予感がする)。

 

英語が話せなくてもノーベル賞を受賞した人がいる事実(理系は数式で会話が成り立つ)。

 

一つの言語で大手を振れる英語ネイティブを過度に崇めない(彼等のアドバンテッジは大きすぎる)。

 

現在進行中の国難(地震、台風、豪雨、放火・交通事故from the sky)に日本国、日本人が羨ましく、妬ましくてしょうがない白人たちが絡んでいるとすれば、やたら“英語、えいご”と大騒ぎするのは如何なものか。

 

日本語が拙いままでは、本当のバイリンガルとは言えない。

 

中途半端なバイリンガルは自殺の元(“どこへ行っても異邦人扱い”は辛い)。

 

英語で喧嘩できた帰国子女の英語が半年で霧散する現実をどう説明する。

 

英語力に自信がもてない奴ほど自分が早期に英語教育を受けなかったせいにしたがる。

 

本格的なバイリンガルの陰に血の滲むような母親の努力がある(国谷裕子氏の例)

 

 

 英語教育に関する議論は、努力して上達した人たちの発言のみを尊重する。

 

 

英語産業の基本戦略(簡単に上達しない仕組みで引っ張り続ける英語の利権構造)は、前回の東京オリンピックの英会話ブームの時に確立した。

 

頭の中でセンテンスを組み立てなくても話せるレベルへの道は遠い。

 

外交、経済等すべての分野でハイレベルな英語の使い手を養成することは急務だが、売国奴に成らぬ為の方策が必要。

 

大学入試選抜試験が民営化されるようではこの国は終わり。

 

採点するアルバイターの学力が受験生より低いなんて漫画だ。

 

本当に英語がペラペラの域に達するのは、自由自在に一輪車を乗り回せる人の数くらいと思う。

 

センスが無いと、いつまでたっても中身はペラペラ。

 

本格派を目指す場合、習得はセンスが必要で、モチベーションが無ければ加速がつかないし、やっても時間の無駄である。