2008年当時、ひとまず保存した「週刊新潮」の記事です。
記者の文章は、いったい何が問題点なのか分からないまま書いている印象ですが、「米田史学」を学べばスムーズに理解できます。
東北は大宰府を首都とする「倭国」の連邦のひとつでしたので、会津で後漢時代の銅鏡が発見されても何ら不思議ではありません。
東北は自らの連邦を「日本」と名乗っていましたが、その名称を本家「倭国」に譲り渡したのです。
乗っ取り政権である大和朝廷(~現在)はその名称を「壬申の乱」(学校で習うのとは異なる)の後、さも昔から自分の国の名称の様に名乗っているのです。
「日本」と聞いたら、「東北」と反応しましょう。