AB&JC PRESS版「米田建築史学シリーズ」の四作目に当る本書の編集が大詰めになった頃、出版社からオファーがあり、著者米田良三氏による一般受けする文章への書き換え等、新たな動きが始まっていました。出版社から声がかかった時点で、ボランティア出版は役目を終えることになりますので、めでたい事には違いないのですが、一抹の寂しさを覚えました。このような経緯の最中、せっかく乗りかけた船でもあり、従来通りの編集方針で制作したのが本書です。
米田氏の文章は不慣れな建築用語に加え、独特の言い回しで取っ付きにくいというのが定評ですが、「特に噛み砕くことはしない」という著者の方針と、「特に著者に注文をつけない」アマチュア編集者との二人三脚で、今まで『続 法隆寺は移築された 建築史学入門』、『現代を解く・長谷寺考』、『日本国王室全滅亡 東アジアの悲劇』の三作を発表することができました。
米田氏は十年来の闘病生活の中で、四作目を出版社に託そうとしたのですが、病のコントロールに無理があり、願いは叶いませんでした。結果として、前述の三作に最後となる本書を加えた四部作が完結したのです。新泉社の四部作を(前期)と呼ぶとすれば、AB&JC PRESS版(後期)とを合わせ、プロの歴史学者、国文学者を足元にも寄せ付けない、建築史学の金字塔が打ち立てられたのです。(自画自賛?)
御用歴史学者たちが千三百年以上守り続けてきた我が国のフェイク・ヒストリーに疑問を呈する者は少なからずいたのですが、圧倒的な説得力で見破ったのが、歴史についてはアマチュアである建築家・米田良三氏だったのです。
歴史学に名を残したものの、古代寺院建築にヒントを得て自ら開発した免震装置の評価、実績を見ぬまま、この世を去るのは無念であったに違いありません。その免震装置・アンティシスモの売り込みの際、取引先の若い社員の感触は良いのに、上層部がロクに検討もしないで却下する、とぼやいていた米田氏。「法隆寺移築説」も「開発した装置」も共に行く手を阻まれて悔しかったことでしょう。
そんな中、有言実行の信念で挑戦し続けた米田氏には尊敬の念を抱いています。十年以上にわたり、氏の原稿の単行本化に向けてパソコンと格闘しつつ、多くのことを学ばせていただいたことは私の誇りであり、悦びでもあります。
「天才の業績に対する評価は遅れてやってくる」と信じつつ