1月21日朝、NHKラジオで「長谷寺の東の山中に玉鬘神社という名の神社が作られた」と報じていました。
米田史学では 長谷寺は520年頃 佐賀県三瀬村で創建され、700年代初め現在地に移築され、1650年 新築に匹敵する大改修が完了し 現在に至っている、とされます。
現在の長谷寺には「貫之梅」とか「二本の杉」という記念碑的スポットがあります。
紀貫之は倭国時代の人で、「ひとはいさ・・・」の歌は長谷寺の門前町である椿市(現在の「宿」)で読まれました。
「二本の杉」は長谷寺、杉神社が出来る前からあった縄文杉の巨木で、当時のランドマークとして文学作品にも登場します。
これらの事象は移築の事実を隠そうとする者たちにとって、移築後の寺の近くに存在する必要があります。
これが「貫之梅」と「二本の杉」という、しょぼい記念碑的スポットの実態です。
件の縄文杉の巨木は中世に長谷寺移築の事実を隠そうとする者たちによって(伝説では孫太郎がやったことにされている)切り倒されています。
「玉鬘神社」は、たんに『源氏物語』の中で玉鬘が長谷寺を訪れるシーンにちなんだ(「貫之梅」や「二本の杉」のような)新たな人寄せスポットとも言えますが、以上のいきさつから、長谷寺の移築のイメージを遠ざける、と言う意図で作られている、と思えます、私には。