大和長谷寺について、今まで“法隆寺より古い”などの説を当ブログで書き続けていますが、そのような視点で捉えると、まだまだこの寺の不思議が発見できます。
江戸時代の新築ということですが、本堂外陣の柱の風化の具合が不自然です。
表面を無理矢理擦って洗ったような印象です。
それを裏付けるような写真が『調査報告書』にあります。
内内陣にカラフルな模様が描かれた柱があり、その図柄は学校時代の美術の教科書などでも見たことのないものです。
柱、天井~全体に至るまで極彩色に彩られていた可能性があります。
外陣の天井周りを覆い尽くす額、絵馬の数もさることながら、各々の隙間がなく、天井が全く見えません。
ワザとやっているとしか思えません。
江戸時代の新築に匹敵する解体修理の際に天井絵が消せなかったのではないかと想像します。
見られては困る内容なのでしょうか。
つまり、描かれていたのは倭国を連想する絵で、それを消すのは恐れ多いのと、完璧に消すことができないので、額などで覆い隠す作戦に出たものと思われます。