ある歴史本が読むに値するかどうかを判断するには真っ先に聖徳太子に関する記述をチェックします。
例えば、2018年1月に発行された倉山 満 著『世界の歴史はウソばかり』では、小見出し“愚かな「聖徳太子不在説」”の中で著者は
“必死で聖徳太子の存在を否定したい人はいったいどこを向いているのでしょうか”、“聖徳太子不在説など、学問の何たるかを心得ない不届きものの詭弁にすぎません。”と憤っています。
実は飛鳥時代、大和平野の何者かが九州王朝・法興帝の業績を乗っ取り聖徳太子を名乗ったのであり、この著者の過剰反応は“倭国隠し”研究者に特有なものです。
定説を守る者たちは、米田氏を含めた大半のノン・プロ著者による歴史本に何が書かれようがお構いなしですが、
歴史研究の主流から若干離れているとはいえ大山誠一、古田武彦両氏の“教授”という肩書きには敏感に反応するのです。