「尾張名古屋は城でもつ」と言うが、本当の所、「鯱でもっている」のです。
従って、名古屋城天守閣木造化プロジェクトは間違いなく失敗します。
そもそも、この期に及んで“言い出しっぺ”が東京の方を向きソワソワするようでは、お話になりません。
鯱はこのエリア ダントツ1位のマスコット・キャラクター(J2グランパス等の)であり、黄金に輝く鯱は、普段はドケチで、ここ一番という時にドカンと一点豪華主義を爆発させる名古屋人根性を象徴しています。
そんな鯱を明治の昔から校章のデザインに取り入れている学校ですので、戦後、愛知県内で最初に造られた体育館が「鯱光館」と命名されたのは自然な流れでした。
その延長線上に「鯱光会」(同窓会)、「鯱光祭」(学校祭)があるのです。
― 長い前置き ―
鯱光館の西面です。昔の姿を味わうには、ここがベスト ポジションでしょう。
その後、各学校で建てられた体育館の基本デザイン(カマボコ屋根、舞台、カーテン、トップ中央の校章、時計、等)は まさに鯱光館の「右に倣え」でした。
一見すると昔のままと思われがちな鯱光館ですが、コンクリート本体部分以外はほとんど改修され、建材は入れ替わっているようです。
特に防災意識の高まりにつれ、天井を始めとする耐震工事は昔の常識を遥かに超えたレベルで実施されています。
私が鯱光館で“個性的だなあ”と気に入っている所は、壁面を安定強化するため(?)の本を広げたようなV字型の外壁構造です。
これが鯱光館の真髄だと思うのです。
To be continued