「長谷寺も移築された」 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

所々で述べてまいりましたが『法隆寺は移築された』という米田良三氏の著書が総ての発端です。

 

 

以前、長谷寺についての本のタイトルをどうするか相談中、私が提案したのが「長谷寺移築された」でした。

 

 

さすがにこのタイトルは実現しませんでしたが、今回『重要文化財 長谷寺本堂調査報告書』に目を通してみると、まさしく「長谷寺移築された」の感を強くしました。

 

 

色々突っ込むポイントはありますが、いきなり本丸を攻めることにします。

 

 

『報告書』には本堂の精緻な図面が載っていて、詳しく算用数字で寸法も表示されています。

 

 

本堂の北東の角(写真)には畳の間があり、その1.5間の幅の部分が10.5尺と記入されており1間=7ということが分かります。

 

 

この長さのメートル法で表される絶対値の話はひとまず置きます。

 

 

ここで以前の 桂離宮 の件を振り返ります。

 

 

桂離宮の報告書に載っている図面上、寸法は総てメートル法が用いられています。

 

 

そこで長谷寺の場合と同様に畳の間に注目してみるに、1間は1970mmで、これを303㎜(曲尺の1尺)で割ると6.5尺となります(1970÷3036.5)。

 

 

この半分、即ち畳の短い縁が3.25尺となり、流石にこの数字は不自然です。

 

 

ところが米田氏が唱える倭(ィ)尺(1尺=281mm)に換算すると1間は7尺となり(1970÷2817)、長谷寺の1間=7と同じ値になります。

 

 

つまり、これらのことから、二つの建築物は共通の物差し(ィ尺)で建てられたという結論に限りなく近づきます。

 

 

メジャーを持って長谷寺に出掛け、北西の角の柱間を実測すれば答えはおのずと出ることでしょう。