前回の続きです。
長谷寺の本堂が国宝に指定されたのは13年前のことですので、テレビ番組を観なければ気付かないままでした。
強烈な長谷寺マニアとしてみれば、今回の件は何かしら発表出来ない秘密が隠されているように感じられます。
あるホームページの文章の行間を読むことで、その秘密を解いてみようと思います。
コピペした文章(青文字)に勝手に茶々(赤文字)を入れますので、まずは リンクしたページ を先に読んでいただきましょう。
結論を言ってしまえば、「材木の年代測定を行った結果、500年代初めに伐採した事実が判明した」と睨んでいます。
法隆寺より古いということが明らかになってはならないのです。
豊山派の主張
Vol.6 真言宗豊山派総本山長谷寺本堂の国宝指定に思う
真言宗豊山派総合研究院 院長 加藤精一
【本堂が国宝に】
平成16年10月に文化審議会より、わが宗派の総本山長谷寺の本堂(観音堂)を国宝に指定するべきであるとの答申がなされた。
長谷寺の本堂が国宝になるのだ。まことに喜ばしいことである。
これまでも重要文化財であったのだから日本の宝物であったことに代わりはないが、国宝となると、その価値が一段と高まるのである。
国宝指定のきっかけは、平成15年3月の強風による倒木のために本堂の屋根の一部がこわれ、その修理のために文化庁がおこなった調査の結果であるという。
≪本堂の北側の斜面には、まだ何本もの大木が聳えており、似たような災害をこうむる可能性が心配です。滅多にないことと思いますが・・・・≫
屋根の修理は文化庁、奈良県、そして地元桜井市など各方面の手篤いご協力により、さらに加えて多くの豊山派所属寺院そして檀信徒各位の協力によって、平成16年3月には完成し、奉告法要も無事に成満したところに、この朗報である。
時あたかも、新管長として鳥居愼譽猊下が平成16年11月9日に晴れの晋山式を控えてのことであるから、宗派の喜びはひとしおである。
台風の被害がもとで調査が進み、国宝へというのであるから、
≪被害を受けなくても、その気になればもっと早くから様々な観点からの調査できたはずです。研究者の間では、法隆寺ほどではないのですが、謎の多い寺と言われているのですから・・・≫
まさに禍転じて福となるとはこのことで、さらに深く考えてみると、木が倒れたのも観音様のお心だったのかも知れない、とも思えるほどである。
≪はしゃぎぶりが尋常でないことから、何か特別なデータが示されたと思われます。≫
長谷寺学芸員の甲田弘明氏によれば、このたびの調査で本堂が、徳川幕府による大規模かつ代表的な寺院建築で、
≪別に災害がなくとも、外観を見ただけで分かる話であり、今更の感じです。≫
同時にわが国の観音信仰の中心的な役割を果たしているという点で、
≪始めから分かっている話であり、わざわざこの点を強調するのは、やはり特別な知見が明らかになったからでしょう。≫
建築学史的、文化史的意義においても特別に高い価値をもっていることが判明したのだ、という。
≪米田史学の結論は、日本最古の木造建築は長谷寺であり、まさしく“特別に高い価値”とはこのことです。≫
また、徳川三代将軍家光の寄進で、御所や江戸城など重要な建物を造営している中井大和守の建築で、
≪米田氏がいつも言っていた、中井家は今で言うゼネコンです。≫
当時の最高の技術者たちによって正保2年(1645)から5年の歳月をかけての大造営事業であったそうだ。
≪語られる火災の歴史は嘘であり、傷んだ移築された建築の大改修だったと思われます。≫
このたび「本堂棟札」「伽藍総絵図」「平瓦」等の五件も重要文化財の附指定に追加された。
この「豊山派の主張」を読んでどう思われたでしょうか?
文面だけでは国宝指定というには根拠が希薄と言わざるを得ません。
もう国宝指定から13年経っているのですから調査結果を包み隠さず公表して欲しいものです。
以前から近鉄に言っているように「特急を長谷寺駅に停車」させるべきです、国宝なんだから。
もし、本当に調査の結果が理解できなかったら『長谷寺考』を差し上げますので、読んでみて下さい。
総てが氷解すること請け合いです。