2月14日の民放BS番組で長谷寺の本堂が最近国宝に昇格したことを知りました。
米田説では現在の本堂も観音様(517年)も倭国時代のオリジナルですから、やっと国も本当のことを認めたのか、といったところです。
そのきっかけは2003年の災害で本堂の北西の屋根が壊れたことのようです(冒頭の新聞記事)。
長谷寺の登り廊を上がり始めてすぐ右にある宗宝蔵には、その災害の折に取り替えられた屋根を支える巨大な部材が展示されています。
それを見た時、部材の年代測定が(検体が充分すぎるほどあるので)心置きなく出来るのではないかと思っていましたが、その結果、今回の国宝昇格に繋がったのでしょう。
問題はそのデータが正直に発表されているかどうかです。
投票率や世論調査のデータも嘘がまかり通る昨今ですので、情報は注意深く吟味しなくてはなりません。
米田氏は新泉社発行の第4書『逆賊磐井は国父倭薈だ』で
「科学的に正しい標準年輪変動パターンが出来上がれば、私の説いてきた移築説が正しいか否かを決定することになろう。
年輪年代法は日本の歴史をひっくり返す力を持った研究である。もちろん放射性炭素C14年代測定法による年代測定とも相関し、広範な年代を正しく知ることになろう」と述べています。