“薬師如来”の昔の姿 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

 

出来たばかりの仏像は金色に輝いていますが、真っ黒なものに見慣れている私たちからすれば違和感があります。

 

 

ある仏像の 解説書に奈良・薬師寺の薬師如来の元の姿の想像図(写真)が載っていました。

 

 

ボディーは金ぴか、ヘアーは群青色、手掌・足底・胸骨部にタトゥーが施されており、薬壺は持っていません。

 

 

この図から判断するに、この本の編集責任者は定説に何ら疑問を持っていないと分かります。

 

 

胸に卍の刺青があるだけで、この像は倭国王“倭薈を表現していると断定できるのですが、その事がいかに不都合な真実であるかを編集責任者は理解していないのです。

 

 

 薬壺を持ってない ことも重要です。

 

 

そうです、この本は非常に正直な作りなのです、“バカ”が付く位。

 

 

即ち、薬師寺の薬師如来像は“阿弥陀如来”なのです。

 

 

阿弥陀信仰の歴史の流れの中で、卍のマークがついている仏像はすべて阿弥陀如来(=倭薈)でもあるわけです。

 

 

胸の卍は手掌や足底の刺青に比べると極力目立たないように(日頃から)磨かれているのは、倭国を乗っ取った側(大和朝廷)がこの事実を隠しておきたかったし、現在でも隠しておきたいのです。