阿弥陀信仰が平安時代から始まったと印象付けたい勢力が今(歴史教育関係者ら)も昔(藤原一族ら?)もあります。
倭国時代の仏像の卍マークを消そうとすることがあったとしても、大和朝廷以降の仏像にわざわざ卍マークを描くことはありえないことです。
卍→阿弥陀如来→倭薈と連想されれば、歴史から抹殺したはずの九州王朝が浮上してしまうからです。
薬師寺の所謂薬師如来が「何故、薬壺を持っていないか」とか、「卍マーク等の刺青の在る・無し」についての苦しい言い訳が一流の仏像解説書にも載っています。
米田氏によれば江戸時代の庶民は「薬師寺の主仏は阿弥陀如来だ」と理解していたそうです。
薬師如来と厳格に決められたのは明治以降のことだそうです。
以前、現在出回っている仏像の解説書は総てペケと書いたこと があります。
この国の歴史は実権を握った者のやりたい放題ですね。